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ヘンリー銃 : ウィキペディア日本語版
ヘンリー銃[へんりーじゅう]

ヘンリー銃(ヘンリーじゅう)、ヘンリー連発銃(ヘンリーれんぱつじゅう、Henry repeating rifle)は、1850年代後半にベンジャミン・タイラー・ヘンリーが開発したレバーアクションライフルである。
== 歴史 ==

ヘンリー銃は、後にスミス&ウェッソンを設立するとの二人が同社設立前に開発したを改良したもので、1860年にニューヘイヴン・アームズ社初のレバーアクションライフルM1860 ヘンリー・ライフルとして発売された。
25グレイン(1.6g)の火薬とそれを上回る216グレイン(14g)の弾丸を備えた銅製(後に真鍮製)のリムファイア弾を装填するこの小銃は、1862年の夏頃から10月までの間に900挺が製造され、1864年までに一月当たりの生産数は290挺に達した。1866年の生産終了時までに約1万4,000挺が製造された。
南北戦争中、正式装備では無いのにもかかわらずヘンリー銃は多くの北軍兵士に用いられていた。その多くは自費にて購入された物で、正しく用いれば1分間に28発もの銃弾を発射できるこの真鍮製の銃を、日々節約する事で手に入れられた兵士は、それが自らの生き残る助けになると信じていた。
それらは通常の歩兵隊よりも、むしろ斥候や散兵、陣形側面の守備兵および奇襲部隊にて頻繁に使用された。
前装銃を装備していた南軍兵士達はこの火力に優れた「16連発銃」に直面すると、「北部野郎の銃は日曜日に弾を込めれば一週間ずっと撃てるのか、忌々しい!」と驚愕するに至った。
また、極少数のヘンリー銃は南部軍によって鹵獲され、低い水準の下使用されたが、この銃を支給された兵士達の中でも極僅かしかその特殊な弾薬の補給手段を持ち合わせておらず、南部同盟側での大々的な使用はほぼ不可能ではあったが、それでもこの銃は少なくとも15もの南軍部隊の一部にてに使用されたのが知られている。これらの部隊にはルイジアナ、テキサス、ヴァージニアの各騎兵隊や、アメリカ連合国ジェファーソン・デイヴィス大統領の個人ボディーガードも含まれていた。
1866年にニューヘイヴン・アームズ社はウィンチェスター社に吸収合併され(ただし、既にニューヘイヴン・アームズ社の設立時点でウィンチェスターに買収されて資本傘下に入っていた)、ヘンリーライフルは改良型のウィンチェスターM1866に製造ラインを譲る形で製造中止となった。
''を改良したもので、1860年にニューヘイヴン・アームズ社初のレバーアクションライフルM1860 ヘンリー・ライフルとして発売された。
25グレイン(1.6g)の火薬とそれを上回る216グレイン(14g)の弾丸を備えた銅製(後に真鍮製)のリムファイア弾を装填するこの小銃は、1862年の夏頃から10月までの間に900挺が製造され、1864年までに一月当たりの生産数は290挺に達した。1866年の生産終了時までに約1万4,000挺が製造された。
南北戦争中、正式装備では無いのにもかかわらずヘンリー銃は多くの北軍兵士に用いられていた。その多くは自費にて購入された物で、正しく用いれば1分間に28発もの銃弾を発射できるこの真鍮製の銃を、日々節約する事で手に入れられた兵士は、それが自らの生き残る助けになると信じていた。
それらは通常の歩兵隊よりも、むしろ斥候や散兵、陣形側面の守備兵および奇襲部隊にて頻繁に使用された。
前装銃を装備していた南軍兵士達はこの火力に優れた「16連発銃」に直面すると、「北部野郎の銃は日曜日に弾を込めれば一週間ずっと撃てるのか、忌々しい!」と驚愕するに至った。
また、極少数のヘンリー銃は南部軍によって鹵獲され、低い水準の下使用されたが、この銃を支給された兵士達の中でも極僅かしかその特殊な弾薬の補給手段を持ち合わせておらず、南部同盟側での大々的な使用はほぼ不可能ではあったが、それでもこの銃は少なくとも15もの南軍部隊の一部にてに使用されたのが知られている。これらの部隊にはルイジアナ、テキサス、ヴァージニアの各騎兵隊や、アメリカ連合国ジェファーソン・デイヴィス大統領の個人ボディーガードも含まれていた。
1866年にニューヘイヴン・アームズ社はウィンチェスター社に吸収合併され(ただし、既にニューヘイヴン・アームズ社の設立時点でウィンチェスターに買収されて資本傘下に入っていた)、ヘンリーライフルは改良型のウィンチェスターM1866に製造ラインを譲る形で製造中止となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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