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ヘームー(, Hemu, 1501年 - 1556年11月5日)は、北インド、スール朝の武将、軍総司令官、宰相。ヘームー・ヴィクラマーディティヤ(Hemu Vikramaditya)、ラージャ・ヴィクラマーディティヤ(Hemu Vikramaditya)とも呼ばれる。ヒームーとも呼ばれるが、これは英語読みである。 ヒンドゥー教徒でありながら、スール朝において台頭し、最高位に上りつめた。成立間もないムガル帝国の首都デリーを占領し、帝国を一時滅亡の危機に追いやった人物でもある。また、デリーの350年にわたるムスリムの支配に終止符を打った人物でもあった。 ==生涯== ===商人として=== 1501年、ラージャスターン地方、アルワルの小村で、商人ラーイ・プーラン・ダースの息子として生まれた。 ヘームーは野菜売りあるいは食料雑貨店を営んでいたが〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.186〕〔チョプラ『インド史』、p.141〕、のちにメーワール地方のレーワーリーに移り住んだ。ここはデリーへの中継地であり、イランやイラクからの隊商や交易品がここに集中し、中世の重要地点だった。 ヘームーは一生を商人などで終わるような男ではなかった。ムガル帝国に代わり、スール朝のシェール・シャーが台頭すると、スール朝の軍隊へ穀物を供給する商売をはじめた。 ヘームーは穀物供給業だけでなく、レーワーリーで真鍮産業もはじめ、銅版や調理器具、さらには大砲鋳造所も建設するなど、一躍この地方の大商人となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘームー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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