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ベツレヘム公会 : ウィキペディア日本語版
エルサレム公会 (1672年)[えるされむこうかい]

エルサレム公会(, )は、1672年エルサレムで開かれた、正教会における公会議の一つ〔The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity, p267〕。ベツレヘムにある降誕教会で開催されたことから、「ベツレヘム公会」〔()もしくは「ベツレヘムおよびエルサレム公会」(〔〕〔は、古典ギリシア語再建音からは「ベートゥレエム」等と転写し得るが、現代ギリシア語においては「ヴィスレエム」が近い。〕)とも呼ばれる。エルサレム総主教ドシセオス2世によって主導され〔〕、西方教会における宗教改革に対する正教の立場を明らかにした〔。
この公会において正教会は、プロテスタントによる宗教改革教理を否定するにとどまらず、宗教改革におけるカトリック教会対プロテスタントの論争に直面して正教の伝統を正すよう努め、カトリック教会とも教理における強調点の違いをみせることとなった〔。
== 背景 ==
17世紀宗教改革におけるカトリック教会プロテスタントの論争は正教会に影響を及ぼすに至った。プロテスタントの影響を強く受けたキリロス・ルカリスや、カトリック教会の影響を強く受けたペトロー・モヒーラといった人物が現れて居たのには、オスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼした後、正教会の神品西方教会の教育機関に学ばざるを得ない状況が背景にあった〔高橋(1980). p116〕。
エルサレム公会を主導したドシセオス2世はこうした状況の中で、独学で聖師父学を学びかろうじて正教の立場を明らかにした〔本項では「かろうじて」という表現を採ったが、ドシセオス2世に対して正教会は肯定的であるものの、その評価の高さ(度合い)は微妙に分れる。高橋保行は、ドシセオス2世より後、18世紀後半に「正教修道精神のリバイバル」が起きたとしており、ドシセオス2世に対する評価としては「かろうじて正教の立場を明らかにしている」という表現を使っている。他方、では、ドシセオス2世が主導したエルサレム公会につき「東方正教会の重要かつ象徴的な文書の一つ」()が生み出されたと評価しており、「かろうじて」に類する表現はされていない。〕と、現代の正教会において評価されている総主教である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Synod of Jerusalem (1672) 」があります。



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