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ベトナムに平和を!市民文化団体連合 : ウィキペディア日本語版
ベトナムに平和を!市民連合[べとなむにへいわを]

ベトナムに平和を!市民連合(ベトナムにへいわを!しみんれんごう、略称「ベ平連(ベへいれん)」)は、日本ベトナム戦争反戦及び反米団体。「運動団体」といっても規約も会員名簿もなく、何らかの形で平和運動に参加した人々や団体を「ベ平連」と呼んだ。なおKGBからの資金援助を受けていたことが冷戦終結後に判明している〔Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), ''Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation'', Washington, D.C. : Library of Congress, 1997, pp699-700. 〕。
==来歴==
1965年(昭和40年)2月7日に開始されたアメリカ軍による北ベトナムへのいわゆる「北爆」で一般市民の死者が増えたことがマスコミ報道されると、反戦運動が始まった。
60年安保で「誰デモ入れる声なき声の会」〔グループは「誰デモ入れる市民の列」として現存する〕を組織した哲学者鶴見俊輔政治学者高畠通敏が、「―声なき声の会」を母体に作家小田実を代表として1965年4月24日に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の名で発足させたのが始まりである。同年、久保圭之介に代わり吉川勇一が事務局長になる。
反米」であるものの、既存政党とは一線を画した無党派の反戦運動であり、基本的に「来る者は拒まず・去る者は追わず」の自由意思による参加が原則で、その「いいかげん」とも評された程の自由雰囲気により、労働組合や学生団体などの様々な左翼団体のみならず、右翼玄洋社杉山茂丸の孫の杉山龍丸が、「玄洋社国際部長」の肩書きで、ベ平連結成時の呼びかけ人の一人となっている。ベトナムに平和を!市民連合編『資料・「ベ平連」運動 上巻』河出書房新社、1974年。ただし吉川勇一によると、「杉山さんは、ベ平連の後半では、ベ平連への批判的態度をもつようになったようだ」という。ベ平連への批判的文献 〕や学生社会人主婦など、職業や社会的地位、保革などの政治的主張を問わず、多くの参加者を呼び寄せる事になった。
その後1966年10月16日に名称を「ベトナムに平和を!市民連合」に変更し、全国に活動が広がって行ったが、新左翼諸派との活動との関係が強くなりイデオロギー色が濃くなっていった。特に共労党からのメンバーが多く、ベ平連と共労党を兼ねたメンバーにいいだもも吉川勇一栗原幸夫武藤一羊花崎皋平らがいる。のちに日本赤軍の主要メンバーとなる丸岡修東アジア反日武装戦線のメンバーとなる片岡利明が参加したり、べ平連は左翼学生の「通過点」で、更に過激な組織への足がかりと揶揄されるようになった〔組織か個人か=べ平連から学んだこと= 〕。1971年以降はとりわけ片岡らに大きな影響を与えることとなる南ベトナムへの進出企業や防衛産業、あるいは公害企業や成田空港建設に対する敵対行動といったベトナム戦争の反対運動からは直接関係の無い事柄に対してシフトしていき、開高健をはじめとしてこれらの左傾化を嫌い運動から離脱していくものが増加した。
一方で、地方や若者の間では初期の自由な雰囲気での活動が残っており、1972年2月25日に岩国基地の近くに開店した反戦スナック「ほびっと」(1976年1月18日閉店)〔中川六平『反戦喫茶「ほびっと」の軌跡』(週刊朝日 2010年2月19日号) 〕や、同店に刺激を受けて同年5月30日に京都に「ほんやら洞」が開店〔『ほんやら洞の詩人たち — 自前の文化をもとめて』 - 片桐ユズル他(晶文社、1979年)〕。同様の店は全国に作られ、反戦・学生運動、コミューン運動、フォークに関わる学生・若者らで賑わい、基地の町に作られた店には厭戦気分から訪れる米兵たちも集まった。これらの店は1970年代サブカルチャーの拠点として、様々な文献にその名前が残され、当時を回顧する本や雑誌記事、テレビ・ラジオ番組等において語り草となっている。
1973年1月27日に南ベトナムと北ベトナム、アメリカなどの間でパリ協定が調印され、アメリカ軍がベトナムから全面撤退したことを受け1974年(昭和49年)1月に解散した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベトナムに平和を!市民連合」の詳細全文を読む



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