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ベラ・ダヴィドヴィチ
ベーラ・ミハーイロヴィチ・ダヴィドーヴィチ(、Bella Davidovich、1928年7月16日 - )はアゼルバイジャン出身のユダヤ系ピアニスト。1949年に、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカと並んで、第4回ショパン国際コンクールの覇者となった。 バクー出身。6歳よりピアノを始め、3年後にはベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第1番》をオーケストラと共演してデビューした。1939年よりモスクワに移って音楽教育を受け続け、1949年にモスクワ音楽院を首席で卒業し、ソ連と東欧で首尾よく活動を開始した。翌年よりモスクワ音楽院で教鞭を執り始め、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団とも共演した。 ヴァイオリニスト、ユリアン・シトコヴェツキー(1925年 - 1958年)と結婚した。ヴァイオリニストのディミトリ・シトコヴェツキーは息子である。1978年にアメリカ合衆国に亡命して米国籍を取得。1982年よりニューヨークのジュリアード音楽院で教鞭を執り、現在に至る。 近年は演奏家としてあまり活動しなくなったが、以前はショパンの専門家として知られ、安定した演奏技術の上に、スケールの大きさと彼女特有の美観を併せ持つ演奏をした。また、"フランツ・リストの再来"と絶賛されたことのあるラザール・ベルマンが「私より彼女のほうがショパンは上手い」と発言して注目を集めた。ショパンのほかに、スクリャービンやプロコフィエフの演奏も得意とした。CDは主にフィリップス・レーベルから発売されており、ショパンのピアノ協奏曲全曲、バラード、即興曲などの録音がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベラ・ダヴィドヴィチ」の詳細全文を読む
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