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ベリーズの歴史では、ベリーズの先古典期から現代までの歴史について扱う。 == 先古典期 == *マヤ最古の土器を伴う集落遺跡(前期末~中期/1200B.C.頃~900B.C.頃) マヤ文明が栄えた地域のなかでも最も古く、先古典期中期でも最も早い時期にオレンジウォーク郡オレンジウォークの西5kmので、楕円形の基壇を持つ住居跡からなる集落跡が確認され、それに伴う土器はスワジー式土器といい、放射性炭素年代測定法などでマヤ地域で最も古い土器であることが判明した。 *巨大な建造物とスタッコ人頭神殿の出現(後期/500B.C.頃~A.D.100頃) 先古典期後期になると、紀元前100年頃、ラマナイ(Lamanai)遺跡で、建造物N10-43という、二段の階段状基壇の上にやや小さめに四段の階段状基壇が載るピラミッド神殿が建設され、その規模は、この建物が囲んでいる広場(plaza)の床面から、33mに及んでいる壮大なものであった。そして、この時期独特のマヤの神々の4mに及ぶ漆喰彫刻の顔(スタッコ人頭)が建造物下部の階段の両脇を飾っていた。また、同じようなスタッコ人頭が建造物の基壇につけられる建物は、コロサル郡のセロス(Cerros)遺跡でも確認されている。このほかノームルでも大規模な建築活動が見られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベリーズの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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