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ベルトルト・ゴルトシュミット : ウィキペディア日本語版 | ベルトルト・ゴルトシュミット
ベルトルト・ゴルトシュミット(''Berthold Goldschmidt'' , 1903年1月18日 - 1996年10月17日)は、ドイツ生まれのユダヤ人作曲家。生涯の大半をイギリスで過ごした。 ハンブルク出身。ヴァイマル共和政時代にハンブルク大学で哲学を学んでいたが、音楽を書くようイタリアの作曲家フェルッチョ・ブゾーニに激励され、1922年にベルリン大学でフランツ・シュレーカーの作曲クラスに入った。同門にはエルンスト・クルシェネクやアロイス・ハーバらがいる。さらに指揮も学び、フリーランスの指揮者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。1925年には『オーケストラのためのパッサカリア』で最初の成功を収め、有望な若手作曲家の一人とみなされ、1932年のオペラ『堂々たるコキュ』でキャリアの頂点に達した。 しかしナチスの台頭により、彼の生活は破壊された。多くのユダヤ人作曲家同様、政権によって「退廃音楽」と批判され、作品の公演が禁止され、指揮活動も妨害されたのである。最終的に1935年にイギリスに亡命した。ドイツ時代に書かれた主要作品に「ピアノソナタ第一番op.10」や「弦楽四重奏第一番」などがある。 第二次世界大戦中はBBCのドイツ語部門で音楽監督を務めた。指揮活動のかたわら、『交響的シャコンヌ』、『ヴァイオリン協奏曲』、『チェロ協奏曲』、『クラリネット協奏曲』、オペラ『ベアトリーチェ・チェンチ』などを作曲している。しかし彼の作品は無視されたため、1958年には作曲の筆を折った。その後6年間、デリック・クックのグスタフ・マーラーの『交響曲第10番』の補筆に協力し、1964年8月13日にBBCプロムスでクック版初演の指揮をした。 晩年に長い間独特の語法を使い続けた彼の音楽への関心が高まり、作品の演奏機会に恵まれるようになり、1982年から作曲を再開した。
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