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ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト : ウィキペディア日本語版 | ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト[べるなーるとうげからあるぷすをこえるぼなぱると]
『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』(ベルナールとうげからアルプスをこえるボナパルト、仏:Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard)は、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1801年から1805年の間に描いたナポレオン1世の油彩肖像画5枚に付けられた題である。『アルプスを越えるナポレオン』その他の名称で呼ばれることもある。最初の依頼主はスペイン王で、ナポレオンとその軍隊が、1800年5月にグラン・サン・ベルナール峠経由でアルプスを越えようとする姿を理想化して描いている。 == 背景 ==
1799年11月9日のブリュメールのクーデターでフランスへの影響力を手にしたナポレオンは、イタリアに戻ってフランス軍を補強し、前年にオーストリア(ハプスブルク君主国)に奪われたチザルピーナ共和国を取り戻す決心をした。1800年春、ナポレオンは予備軍を率いてグラン・サン・ベルナール峠を経由してアルプスを越えた。ミヒャエル・フォン・メラス指揮下のオーストリア軍はジェノヴァのアンドレ・マッセナを包囲しており、ナポレオンはアルプス越えによって敵の裏をかこうとした。ナポレオン軍が到着する前にジェノヴァは陥落したが、ナポレオンは進軍を続け、オーストリア軍が態勢を建てなおす前に交戦しようとした。6月9日、予備軍はモンテベッロで交戦し、次いでマレンゴの戦いでついに決定的勝利を手にする。 ナポレオンの第一統領就任、イタリアにおけるフランスの勝利は、スペイン王カルロス4世との和睦につながった。外交関係を再び樹立するための会談期間に、従来からの贈り物が復活した。ヴェルサイユ製造のピストル、パリの最上級ドレスメーカーのドレス、マリア・ルイサ王妃への宝石、新たに再任された首相マヌエル・デ・ゴドイのためには甲冑一揃いがカルロス王に贈られた。返礼にナポレオンが受け取ったのは、国王の厩舎からスペイン馬16頭、ゴヤの手による国王夫妻の肖像画、ダヴィッドに描かせる肖像画であった。フランスの駐スペイン大使シャルル=ジャン=マリー・アルキエは、カルロス王の元絵をダヴィッドに描かせた。肖像画は2か国の新しい関係を示すものとして、マドリード王宮に掲げられる予定であった。ダヴィッドは熱心な革命支持者だったが、新たに統領政府支持に回っており、依頼を熱望していた。 注文に際しナポレオンは、さらに3枚の絵を描くよう要求した。それぞれサン=クルー城、アンヴァリッド、ミラノのチザルピーナ王宮に飾るためであった。ダヴィッドによる5枚目の絵は、彼が死去するまで他の作品とともにアトリエで保管された。
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