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ベルリンの奇跡(ベルリンのきせき)は、1936年、ベルリンオリンピックのサッカー競技において、日本代表がスウェーデン代表に勝利した試合を指す日本国内での表現である。 == 試合経過 == 1936年8月4日、ベルリンのにおいて、サッカー競技の1回戦として日本対スウェーデンの試合が開催された。 当時のスウェーデンはドイツ・イタリアと並ぶ優勝候補のひとつであった。これに対して、日本はオリンピックのサッカー競技には初参加であり、体格の面でも明らかに劣っていた。このため、下馬評ではスウェーデンが圧倒的有利とされ、日本からの報道陣さえ全くこの試合を取材していなかった〔NHK総合テレビ 「その時歴史が動いた」日本サッカー ベルリンオリンピックの奇跡〜世界を驚かせた逆転勝利〜 2004年5月12日放送〕。観客も「万雷のような拍手が巻き起こり、たくましいスウェーデン選手を迎えた」のに対し、日本代表には「ほとんど注目されなかった」状態であった〔日本蹴球協會(日本サッカー協会の前身)発行「蹴球」〕。 試合は前半にスウェーデンがによる2ゴールで優勢に試合を進めた。さらに体格を活かした「まるで女郎グモのアミのよう」な密着マークによる守備でショートパス戦法を封じ込まれ、日本は為す術もなくそのまま0-2で前半を終えた。 後半に入るとスウェーデンが油断したこともあってか、ショートパスを中心とする日本の戦術が機能しはじめた。後半4分に「シュートの名人」と呼ばれたセンターフォワードの川本泰三がゴールし反撃の口火を切ると、後半17分に右インサイドでゲームメイクを担ったオールラウンダー・右近徳太郎がゴールを挙げ、同点に追いついた。誰も予想だにしなかった展開が、観客の応援を日本寄りに傾かせた。後半40分に俊足右ウイングの松永行のゴールによってついに逆転した。終盤スウェーデンの猛攻を耐えしのぎ、3対2のスコアで試合終了となった。同点に追いついてからの一進一退の攻防のなか、「いまにも体がバラバラになりそうだ。もう駄目だ、ぶっ倒れる」と思うほど、日本選手達は体力の限界に近付いていたという。そんな状態での逆転劇だった。 スウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサーのが「Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)」と連呼したこの試合は、スウェーデンのスポーツ分野においても歴史的出来事のひとつとして記憶されている。試合終了後、6000人の観客の多くがピッチになだれ込み、日本の勝利を祝福した。なお、ドイツを始めヨーロッパ各地の新聞は「不可能なことが起きた」「こんなことをだれが想像できたろうか」「美しく正々堂々とした戦いだった。日本の戦いぶりが歓喜を呼んだのだ」と報じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベルリンの奇跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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