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ベルンハルト・ヴィントシャイト : ウィキペディア日本語版
ベルンハルト・ヴィントシャイト
ベルンハルト・ヴィントシャイト(Bernhard Windscheid, 1817年7月26日 - 1892年10月26日)は、ドイツ法学者民法ローマ法)。ヴィントシャイド〔梅謙次郎「法律の解釈」『太陽』9巻2号62頁、博文館、1903年〕、ウイントシャイド〔星野英一『民法論集第五巻』182頁、有斐閣、1986年〕などと表記されることもある。
==経歴==
税務官吏であったフェルディナント・ヴィントシャイトの第三子として、デュッセルドルフに生まれた。父親が左遷されたため、オランダ国境に近いエマーリッヒとルール地方のレックリングハウゼンの男子学校で学んだ。家族、特に父親との関係は良好とは言えず、1837年には家を飛び出し一時一人で生活するなど、その生活は困難の多いものであった。
デュッセルドルフのギムナジウムで大学入学資格を取得した後、当初は言語学を志したが転向し、ベルリン大学ボン大学で法学を学んだ。特にベルリンでは1835年から1837年の間フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーの講義を聴き、大きな影響を受けた。後の1851年にはバーゼルで上梓した『前提論』をサヴィニーに献呈している。
その後、国家試験を受けてデュッセルドルフの地方裁判所で1年半の間実務を経験する。1838年にはボン大学で博士学位を取得。1840年には『ナポレオン法典における法律行為無効の理論』で大学教授資格を取得。1847年ボン大学員外教授(ローマ法・フランス法)、秋にはバーゼル大学の正教授に任命される。1852年にはグライフスヴァルト大学に転任、ルドルフ・フォン・イェーリングと同僚になる。1857年(1858年とも)ミュンヘン大学、1871年ハイデルベルク大学、1874年ライプツィヒ大学と各大学を転々とした後、そのまま死去までライプツィヒ大学に籍を置いた。その間、1868年に貴族の称号を授与されたほか、1874年夏から1883年9月30日まで、ドイツ民法典編纂のための第一委員会委員に就任している〔勝田・山内 (2008)、323頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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