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ベン黒木[べんくろき]
ベン 黒木(ベンくろき、英語:Ben Kuroki、1917年5月16日 - 2015年9月1日)は、第二次世界大戦中に58回のミッションをこなしたアメリカ陸軍航空軍の軍人。陸軍航空軍の航空機搭乗員として太平洋地域の軍事作戦に加わったただ一人の日系アメリカ人だった。 == 幼年期 == ベン黒木は1917年、ネブラスカ州で生まれた。両親ショースケ・クロキとナカ・クロキは日本からの移民である。ベン黒木が1歳のとき、家族は同州のハーシーへと移って農園を購入し、経営している。そこのリンカンは500人ほどが暮らす村だった〔Yenne, Bill. (2007). ''Rising Sons: The Japanese American GIs Who Fought for the United States in World War II,'' p. 137. 〕 。ベン黒木はハーシー高校に通い、三年目には副生徒会長を務め1936年に卒業した。 1941年12月に真珠湾攻撃が起こると、黒木夫妻は弟とともにアメリカ軍に志願するようベン黒木に勧めた。兄弟はグランドアイランド (ネブラスカ州)の募兵官には拒絶されたが、もう一度ノースプラットで志願している。そこでは問題なく通った。おそらくはユーモラスな逸話が示すように、ノースプラットの募兵官はクロキがポーランド人の姓だと思ったのだ〔Yenne, p. 138; Sterner, Douglas C. (2007). ''Go for Broke: The Nisei Warriors of World War II Who Conquered Germany, Japan, and American Bigotry,'' p. 124. 〕。 黒木兄弟がアメリカ軍へと入隊したのは、他の移民二世世代の中でも非常に早い時期だった。1942年1月、基礎訓練のためテキサス州シェパード空軍基地へと向わされた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベン黒木」の詳細全文を読む
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