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ペトル・コルダ(Petr Korda, 1968年1月23日 - )は、チェコ・プラハ出身の元男子プロテニス選手。1998年の全豪オープン男子シングルス優勝者である。左利き。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス10位。ATPツアーでシングルス10勝、ダブルス10勝を挙げた。身長190cm、体重72kgの長身選手。 == 選手経歴 == 1987年にプロ入り。コルダはテニス経歴の初期に、1990年の全仏オープン男子ダブルスでゴラン・イワニセビッチとペアを組み、スペインペアのエミリオ・サンチェス&セルヒオ・カサル組に 5-7, 3-6 で敗れて準優勝したことがある。それから2年後、1992年の全仏オープン男子シングルスで準優勝者になる。当時24歳のコルダは、最盛期にあった第1シードのジム・クーリエに 5-7, 2-6, 1-6 で完敗した。1996年の全豪オープンで、コルダは男子ダブルスでステファン・エドベリとペアを組んで優勝を飾っている。 1992年の全仏オープンシングルス準優勝から6年後、ペトル・コルダは1998年の全豪オープンに30歳で優勝を果たす。その決勝戦ではチリのマルセロ・リオスに 6-2, 6-2, 6-2 のストレートで圧勝した。コルダもリオスも左利きの選手で、この試合は“左利き対決の決勝”であった。 ところが半年後のウィンブルドンで、コルダは筋肉増強剤の「ナンドロロン」に陽性反応を起こす。この件は年末の1998年12月に公表され、テニス界に波紋が広がる。それまでテニス選手のドーピング違反は若干の例があったものの、コルダのような「ごく最近の4大大会優勝者」の違反は前例がなかったため、その衝撃はひときわ大きかった。1999年8月に1年間の出場停止処分を科せられたが、本人は2ヶ月前の全仏オープン2回戦で大会前年優勝者のカルロス・モヤに敗れた試合を最後に現役を退いた。 コルダはチェコのテニス選手と結婚し、娘のジェシカ・コルダがいる。ジェシカは2008年全米女子オープンに15歳でアマチュア出場、2011年の米女子ツアー出場権を獲得するなどゴルファーとして活動している〔有名テニスプレーヤーを父に持つ17歳J.コルダがQT突破 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペトル・コルダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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