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ペトロ・ジュニオール : ウィキペディア日本語版
ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール

ペドロ・ジュニオールこと、ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール(Pedro Bispo Moreira Júnior、1987年1月29日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手ポジションフォワード(FW)
== 来歴 ==
7歳からサッカーを始める。当時の憧れはロマーリオ。ブラジル中部にあるゴイアス州ヴィラ・ノヴァのユースチームで頭角を現し、2003年11月に16歳でプロ契約。ブラジルのユース代表選手にも選ばれた。当時ブラジル国内では、アレシャンドレ・パトらとともに期待の若手選手の一人として「ヤング5」に選出されるなど、将来を嘱望されていた〔G大阪が電撃引き抜き! 新潟FWペドロを獲得 (cache ) スポーツ報知 (2009年8月27日)〕。
2005年には名門グレミオがその才能に目を付け、保有権の半分を買い取り、加入させるが大きな活躍はできなかった。2006年にはポルトガルの強豪クラブへの移籍を目指すが交渉が決裂。その後も中東のクラブとの交渉が報道されるが、移籍には至らず。翌2007年にはグレミオから選手トレードの形でクルゼイロレンタル移籍するが、FWのアラウージョロニーからポジションを奪えず、ここでも出番はなかった。
2007年4月にレンタル移籍したサンカエターノでチーム得点王になるなどの活躍が認められ、同年8月にヴィラ・ノヴァからJ1(Jリーグ1部)大宮アルディージャへ完全移籍〔 大宮アルディージャ (2007年8月14日)〕。J2(2部)降格の危機に瀕したクラブの得点力不足解消を期待されるも、思うように出場機会を得られなかった。
2008年は春季キャンプからポジションを得て、開幕戦で得点を挙げるなど才能の片鱗を見せた。しかし、復調したデニス・マルケスとの2トップが機能せず、押し出される形でレギュラーから外され、負傷治療の名目でブラジルへ帰国する。その後、1年契約が満了した大宮は、再度契約を結びなおしてからシーズン終了まで古巣ヴィラ・ノヴァにレンタル移籍〔ペドロ ジュニオール選手、ヴィラノバ・フットボールクラブへ期限付き移籍のお知らせ J's GOAL (2008年7月1日)〕させた。ヴィラ・ノヴァではチームの絶対的エースであるトゥーリオ・マラヴィーリャのサポート役として活躍した。
2009年はJ1・アルビレックス新潟へレンタル移籍〔ペドロ ジュニオール選手 移籍加入内定のお知らせ アルビレックス新潟し (2009年1月12日)〕、4-3-3システムの左FWを任され、8月までのリーグ戦21試合で10得点を挙げる活躍を見せた。
シーズン途中の2009年8月、レアンドロの後釜を探していたJ1・ガンバ大阪へ完全移籍した〔ペドロ ジュニオール選手 大宮アルディージャから完全移籍獲得、ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2009年8月27日)〕〔アルビレックス新潟 FWペドロ ジュニオール選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2009年8月27日)〕。ペドロの保有権を所有していた大宮から、新潟が保有権買い取りオプションを行使して一旦新潟へと完全移籍した後〔ペドロ ジュニオール選手アルビレックス新潟へ完全移籍のお知らせ 大宮アルディージャ (2009年8月27日)〕、新潟からG大阪へ完全移籍する形となった。G大阪ではリーグ戦7試合に出場し、大宮戦と京都戦で計3得点を挙げたが、ドリブルが最大の持ち味でありながら西野朗監督から3タッチ以上禁止、ボールキープ禁止といった「持ちすぎ禁止令」を出されるなど〔天皇杯 西野監督がペドロ・ジュニオールに持ち過ぎ禁止令 ゲキサカ (2009年10月29日)〕、G大阪のパスサッカーに最後までフィット仕切れずリーグ戦を終えた。天皇杯では3試合に出場し、流通経済大学とJ2鳥栖相手に1得点ずつ計2得点を挙げていたが、新潟時代から痛めていた左膝の治療のため、同大会準決勝戦消化前の12月13日にブラジルへ帰国した。
2010年3月20日、J1第3節・新潟戦では、後半10分、負傷したFWルーカスに代わり途中出場したものの、後半34分に途中交代を命じられる〔ペドロ・ジュニオールが来季、F東京に加入? ゲキサカ (2010年11月12日)〕。これに今まで溜まっていたチームへの不満が一気に爆発したペドロは激昂し、ベンチに向かって暴言を吐き、腕を突き上げるなどの挑発行為をした上で、着ていたユニフォームを脱ぎピッチに投げつけたため、G大阪サポーターからはブーイングを浴びた〔G大阪内紛! P・ジュニオールが西野監督に暴言 スポーツニッポン (2010年3月21日)〕〔G大阪造反劇ペドロ交代に切れた 日刊スポーツ (2010年3月21日)〕。同月24日にクラブから直近の公式戦2試合の出場停止処分を科された〔ペドロジュニオール選手の処分について ガンバ大阪 (3月24日)〕。
3月26日には練習前のミーティングで選手とチームスタッフ、西野に対して謝罪をした〔G大阪ペドロ謝っても西野監督“構想外” 日刊スポーツ (2010年3月27日)〕ものの、この一連の騒動がきっかけとなってG大阪の戦力構想から外れ、同年4月にブラジルのスポルチ・レシフェへレンタル移籍した〔FWペドロ ジュニオール選手 Sports Club Do Recife(ブラジル)へ期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2010年4月9日)〕。同年8月、古巣ヴィラ・ノヴァへ移籍〔Atacante do Sport, Pedro Junior cogita retornar ao Vila Nova (2010年8月19日)〕。
2011年、J2・FC東京にレンタル移籍〔FWペドロ ジュニオール選手 2011シーズン FC東京へ期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2011年1月6日〕〔 FC東京 (2011年1月6日)〕。保有権は引き続きG大阪が持つ。4月30日のJ2第9節・札幌戦で途中出場。この試合がFC東京での初出場となった。左サイドのアタッカーとして期待されていたものの〔G大阪からペドロ獲得 左サイドアタッカーで起用へ 東京中日スポーツ (2011年1月7日)〕、その後抱えた怪我が治らず、同年6月17日にクラブより両者合意によるレンタル契約解除が発表され、FC東京を退団した〔ペドロジュニオール選手 契約解除のお知らせ FC東京 (2011年6月17日)〕。
2012年、G大阪から古巣のADサンカエターノに完全移籍で加入した。契約期間は2年間〔AZULÃO APRESENTA SETE REFORÇOS PARA ENTRAR FORTE NO PAULISTÃO ADサンカエターノ (2011年12月27日)〕。
2013年Kリーグクラシック済州ユナイテッドFCに移籍。登録名はペドロ。第1節の全南戦で早速得点を挙げ、同節のベストイレブンに選出された〔페드로-최원권, 1R 주간 베스트11 선정 済州ユナイテッドFC (2013年3月5日)〕。チームは下位に沈んだものの、ペドロは出だしから好調を見せ、FWマラニョンとの連携も機能し〔올 시즌 마지막 희망 놓친 제주의 고민 大韓サッカー協会 (2013年9月15日)〕、第13節ソウル戦〔Jeju United vs. Seoul 4 - 4 SOCCERWAY〕、第17節慶南戦〔Gyeongnam vs. Jeju United 2 - 4 SOCCERWAY〕ではハットトリックを記録。得点王争いをリードしていたが、シーズン終盤に入るとペドロはオファーを受けた神戸への移籍を望み〔득점2위 페드로 빗셀 고베행…김신욱 사실상 득점왕 확정 (2013年11月17日)〕、済州が来季を見据えた戦いへと切り替えたために出場機会を得られず〔득점왕, 선두 페드로보다 김신욱-케빈을 주목하라 (2013年10月22日)〕、得点ランク3位の17ゴールに終わった。
2014年、J1・ヴィッセル神戸へ完全移籍〔済州ユナイテッドFC(韓国)よりFWペドロ ジュニオール選手 完全移籍加入のお知らせ ヴィッセル神戸 (2014年1月6日)〕。推定年俸は1億2000万円。シーズン前半はリーグトップに立つほどの〔2014Jリーグ ディビジョン1 得点順位表【第24節】 Jリーグ (2014年9月20日)〕得点量産体勢に入っていたが、シーズン後半に失速した。それでもリーグ戦32試合出場で13得点を挙げるなど、2009年以来となるJリーグ二桁得点を達成した。
2015年グロインペイン症候群発症によりシーズンの大半を欠場〔【J1】開幕直前チェック 神戸編 唯一のPSMでも新システムが機能せず。不安を残すシーズンインに サッカーダイジェスト (2016年2月25日)〕。また、出場した試合でもプレーに精彩を欠くなど、リーグ戦13試合出場で1得点に終わった。
2016年は怪我が癒え、開幕戦から先発出場。シーズン序盤から得点、アシスト量産体勢に入るなど、完全復活の兆しを見せている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール」の詳細全文を読む



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