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ペトロ岐部と187殉教者 : ウィキペディア日本語版 | ペトロ岐部と187殉教者[ぺとろきべと187じゅんきょうしゃ] ペトロ岐部と187殉教者(ペトロきべと187じゅんきょうしゃ)は、1603年から1639年にかけて日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭・修道者・信徒で、2008年に長崎市で行われた列福式でカトリック教会の福者に列せられた188人のキリシタンの総称。司祭になるべくローマへ徒歩で行ったペトロ岐部や、天正遣欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらを含む〔ペトロ岐部と187殉教者関連お知らせ カトリック中央協議会〕。 ==概要== 「ペトロ岐部と187殉教者」は、徳川幕府のキリスト教禁教政策のもとで1603年から1639年にかけて各地で殉教した日本人で、5人の司祭・修道者のほか武士、町人などさまざまな身分の183人の老若男女の信徒(キリシタン)が含まれている〔。中には洗礼名だけで日本名が伝わっていない信徒もいる。2007年6月1日に当時のローマ教皇ベネディクト16世が列福を承認する教令に署名し〔ペトロ岐部と187殉教者関連お知らせ 「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」開催日、決定 カトリック中央協議会〕、2008年(平成20年)11月24日に長崎県長崎市の長崎県営野球場で列福式が執り行われた。列福式には、ローマ教皇代理として元教皇庁列聖省長官の枢機卿が来日して司式した〔。日本のカトリック教会では、7月1日を「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日としている〔『カトリック教会情報ハンドブック2014』(教会暦)p78 カトリック中央協議会 ISBN 978-4877505530〕。
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