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ペルミのアンドロニク : ウィキペディア日本語版
アンドロニク (ニコリスキイ)

アンドロニク(修道誓願前の姓:ニコリスキイ、、Andronic (Nikolsky)、1870年8月13日(ユリウス暦の8月1日) - 1918年6月20日 (ユリウス暦6月7日)は、ロシア正教会日本正教会主教正教会聖人。日本正教会では初代京都の主教でもあった事から、「ペルミ神品致命者聖アンドロニク」の称号のほかに「初代京都主教聖アンドロニク」の名でも呼ばれる。
ロシア革命時に、生き埋めの上で銃殺され致命した事で知られる。
==生涯==
1870年8月1日ヤロスラヴリ教区のムィシュキン村(Myshkin)に生まれる(俗名:ウラジーミル・ニコリスキイ)。父は輔祭
1891年にヤロスラヴリ神学校を卒業すると、モスクワ神学大学に入学。在学中の1893年8月1日修道士となり、アンドロニクの修道名を授かる。1895年7月22日修道司祭に叙聖された。その後、クタイシ神学校に赴任する。1898年には1年弱の期間、来日して日本正教会での修道司祭の任にあった。1900年には掌院に昇叙された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Andronik (Nikolsky) 」があります。



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