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ペルー・ボリビア連合 : ウィキペディア日本語版
ペルー・ボリビア連合[ぺるーぼりびあれんごう]

ペルー・ボリビア連合 (Peru-Bolivian Confederation)は、南アメリカ1836年から1839年の短期間存在した国家連合ペルーボリビアを版図とし、首都はタクナに置かれた。
1836年に ボリビア大統領のアンドレス・デ・サンタ・クルスは、ペルーの支配者を破ってペルーを南ペルー共和国北ペルー共和国に分けてボリビアと統合した。10月にペルー・ボリビア連合の成立を宣言し自らは終身・世襲の連合護民官になった。首都は南ペルー共和国のタクナに置かれコビハアリカカヤオパイタの計4港を自由港としその他の港から輸入される物品の課税率を引き上げて国内産品を保護した。しかし、ガマーラをはじめとする亡命ペルー人はチリに亡命して、連合に脅威を抱いていたチリ政府とアルゼンチンフアン・マヌエル・デ・ロサスの力を得て軍を動かし、1839年にペルー北部のでボリビア軍を破るとサンタ・クルスは亡命しこの連合は崩壊した(、ペルー・ボリビア戦争とも)。1841年にガマーラはペルー主導で再び連合を結成しようとボリビアに侵攻したが()、ボリビアの大統領に敗れ、戦死した。これ以後両国を統一しようとする動きはなくなった。
== 関連項目 ==

* ペルーの歴史
* ボリビアの歴史



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ペルー・ボリビア連合」の詳細全文を読む



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