翻訳と辞書
Words near each other
・ ホセ・アントニオ・ウリャテ・ファボ
・ ホセ・アントニオ・エスクレド
・ ホセ・アントニオ・エルミダ
・ ホセ・アントニオ・カマーチョ
・ ホセ・アントニオ・サルドゥア
・ ホセ・アントニオ・ザルドゥア
・ ホセ・アントニオ・ソラーノ
・ ホセ・アントニオ・チャモ
・ ホセ・アントニオ・チャン
・ ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ
ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベーラ
・ ホセ・アントニオ・レイェス
・ ホセ・アントニオ・レジェス
・ ホセ・アントーニオ・プリモ・デ・リベーラ
・ ホセ・アンドラーデ
・ ホセ・アンヘル
・ ホセ・アンヘル・イリバル
・ ホセ・アンヘル・ガルシア
・ ホセ・アンヘル・クレスポ
・ ホセ・アンヘル・ゴメス・マルチャンテ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベーラ : ウィキペディア日本語版
ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ

ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ (José Antonio Primo de Rivera y Sáenz de Heredia,1903年4月24日 - 1936年11月20日)は、スペインファシスト指導者。ファランヘ党初代党首。ミゲル・プリモ・デ・リベラの息子。
1936年、正当な裁判を経ずして銃殺された。
==死の直前==
人民政府成立直後、ホセ・アントニオは銃の不法所持を理由に人民戦線の支配する警察に逮捕された。この時、人民政府の擁する大統領アサーニャは彼に国外退去を要請した。ホセ・アントニオの答えはこうであった。「それはできません。私の母は病気なのです」 この時、彼の母はすでに何年も前に死亡している。その点を追求するアサーニャに対して、ホセ・アントニオは落ち着き払ってこう答えたという。「大統領。私の母は、スペインなのです」
その後程なくして、彼は銃殺刑に処された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.