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ホセ・イバール・メディナ(José Ibar Medina , 1969年5月6日 - )は、キューバ共和国サンティアーゴ・デ・クーバ州ソンゴ・ラマヤ出身の元野球選手(投手)。右投げ右打ち。愛称は"Cheo"(チェオ)。 == 経歴 == -シーズンからキューバ国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"のバケーロス・デ・ラ・アバナに所属。 -シーズンに14勝を記録、最多勝のタイトルを獲得した。 1995年に初めてキューバ代表に加わり、同年10月の第12回インターコンチネンタルカップに登板した。 -シーズン前に減量に取り組み、このシーズンは「壊滅的なスライダー」と速球のコンビネーションが冴え、196.1回を投げてキューバリーグ史上初となる20勝(2敗)を記録した他、防御率1.51・189奪三振(50与四球)で最多奪三振、最優秀防御率、最多勝の投手三冠タイトルを独占した。 1998-シーズンは193.0回を投げて18勝2敗・防御率2.28・158奪三振(53与四球)で2年連続最多勝のタイトルを獲得、最優秀投手も2年連続で受賞した。 1999年3月28日にキューバ代表としてハバナのエスタディオ・ラティーノアメリカーノで開催された歴史的なボルチモア・オリオールズとの親善試合の第1戦に先発したが、2回にチャールズ・ジョンソンに先制の2点本塁打を浴びて降板した。 9月のシドニーオリンピック野球キューバ代表として予選リーグでアメリカ合衆国相手に7回を無失点・10奪三振の好投をしたものの、再戦した決勝戦では中継ぎ投手として3.1回を投げて3失点の内容で、チームはベン・シーツに完封されて銀メダルに終わった。 2001-シーズンは129.1回を投げ、防御率1.81・11勝3敗・142奪三振(35与四球)の好成績を残した。2002年11月の第15回インターコンチネンタルカップでは19.2回で24奪三振・1自責点とチームで最も優秀な成績を残し、先発投手のベストナインに輝いた。 -シーズンは2試合に登板した後、規律違反を理由にチーム名簿から除外された。2004年にアメリカ合衆国への亡命未遂で逮捕され、国内リーグから永久追放された。逮捕時に銃を不法所持していたと伝えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホセ・イバール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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