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ホセ・デ・アコスタ : ウィキペディア日本語版
ホセ・デ・アコスタ

ホセ・デ・アコスタJosé de Acosta, 1540年 - 1600年)は、博物学者アメリカ大陸の初期記録者の一人であるスペインイエズス会士
== 来歴 ==
1540年メディーナ・デル・カンポの商人の家に生まれる。1551年にイエズス会学院に入り、1562年叙品。ローマプラセンシアにてイエズス会学院教授を務めた後に1571年ペルー赴任。
1572年4月27日リマに到着すると1576年イエズス会のペルー管区長となった。ペルーでの布教活動に指導的な役割を果たすと同時にアレキパクスコラパスポトシ等へ赴き、布教に従事した。
原住民文化の観察・記録を熱心に行い、1586年メキシコへ移る。メキシコシティにおいてフアン・デ・トルバに師事して先スペイン期の文化を学び、1587年に帰国。
帰国後はバリャドリードにてイエズス会修道院長となり、1597年サラマンカにて学院長を務めた。1600年、サラマンカにて病没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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