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ホセ・トーレス(Jose Torres、1936年5月3日 - 2009年1月19日)は、プエルトリコ出身の元プロボクサー。ポンス生まれ。元WBA・WBC世界ライトヘビー級チャンピオン。王者としては長期政権を築けなかったが、その実力は高く評価されている名選手であった。 == 略歴 == アマチュアとしてメルボルン五輪に出場、決勝でラースロー・パップに敗れて銀メダルを獲得。その後1958年にプロデビュー、名伯楽カス・ダマトの指導を受ける。デビュー以来連戦連勝を続け、1963年にフローレンチノ・フェルナンデスに敗れるまで、1引分けを挟んで26連勝をマーク(この中には9連続KO勝ち、10連続KO勝ちが含まれる)。 なかなか王座挑戦のチャンスに恵まれなかったが、1965年3月30日、ウィリー・パストラーノに9回KO勝ちし、WBA・WBC世界ライトヘビー級タイトルを獲得(パストラーノは希代のフットワーカーだった。ボクシング研究家でもあるジョー小泉は、パストラーノをまっすぐ追わずジグザグに追い詰めたトーレスのクレバーさを高く評価している)。以後3度防衛したが、1966年12月16日、ミドル級から上がってきたナイジェリアの偉大なファイター、ディック・タイガーに15回判定負けで王座を奪われた。翌年5月16日のリターン・マッチにも判定で敗れると、年齢から来る限界もあってか、その後2試合を行っただけで1969年に引退。 王者としての活躍は決して華々しいとは言えなかったが、その強打とクレバーなボクシングは今も識者の高い評価を受けている。モハメド・アリがインタビューで「今までで最も苦しかったファイトは?」と質問され、「ホセ・トーレスとやった3ラウンドのスパーリング」と冗談交じりに答えたというエピソードが、その実力を物語っている。 引退後はボクシング・ライターとして健筆を揮い、アリやマイク・タイソンに関する著作も物している。 2009年1月19日、ポンスの自宅にて心臓発作により死去(72歳)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホセ・トーレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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