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ホセ・マリア・ベラスコ・イバラ : ウィキペディア日本語版 | ホセ・マリア・ベラスコ・イバラ
ホセ・マリーア・ベラスコ・イバーラ(José María Velasco Ibarra、1893年3月19日- 1979年3月30日)は、エクアドルの政治家。労働者や大衆の支持を集めたポプリスモ政治家であり、「我にバルコニーを与えよ。されば大統領たらん」〔新木秀和(編著) 『エクアドルを知るための60章』明石書店、2006年 p59〕という発言で知られるとおりの雄弁家で抜群の政権獲得能力を示して、1934年から1935年、1944年から1947年、1952年から1956年、1960年から1961年、そして1968年から1972年の生涯に5度エクアドルの大統領に就任したが、その政権を任期満了までつとめられたのは1952年から56年の1期だけで、残りの4期はすべて彼の失政に耐えかねた軍によって政権を追われている。国内にいるよりも外国で亡命生活を送った時期のほうが長いため、「偉大なる不在者」〔新木秀和(編著) 『エクアドルを知るための60章』明石書店、2006年 p59〕とも呼ばれた。 ==前半生== ベラスコ・イバーラは1893年3月19日、首都キトにて土木技師の息子として生まれた。彼は小学校に通わず、代わりに彼の母によって教育を受けた。16歳の時に父が死ぬとサン・ガブリエル高校へと進学し、さらにエクアドル中央大学に進学して法解釈学の分野で博士号を取得し、パリ大学に留学した。彼はConciencia y Barbarieなど何冊かの本を書き、エル・コメルシオ紙に記事を書いていた。彼の最初の公職はキト市役所での職務(síndico municipal)であった。彼の政治人生は、1932年共和国議員(Diputado de la República)に任命されたことで始まった。そして短期間に共和国議会副議長に任命、そしてそのわずか10数日後には共和国議会議長に就任した。
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