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ホセ・リサール(José Rizal,1861年6月19日 - 1896年12月30日)は、フィリピン独立運動の闘士にしてフィリピンの「国民的英雄(Héroe Nacional)〔安井(1994:93)〕」。医師、著作家、画家、学者でもあった。志半ばにして捕らえられ、スペイン軍の手で銃殺されたが、その意志は人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として現在も愛され続けている。 1949年から1973年にかけて1ペソまたは2ペソ紙幣に肖像が使用されていた。 == 生涯 == === 少年期 === フルネームはホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ(Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda)。1861年6月19日に、ルソン島のラグナ州カランバで父フランシスコ・メルカードと母テオドラ・アロンソの間に、11人兄弟の7人目の子として生まれた〔安井(1994:7-9)〕。リサールには姉が5人、兄が1人、妹が4人いた〔安井(1994:7)〕。 彼の家系はメスティーソといわれる中国人とフィリピン人の混血の一族であった〔鈴木(1997:84-85)〕。メルカード家は中国・福建省の晋江から17世紀に渡りフィリピンの先住の女性と結婚した商人の末裔であり、元来の姓は「柯」といった。 8歳にしてタガログ語とスペイン語を身に付け〔安井(1994:9)〕、9歳にしてビニヤーン校に入学した〔安井(1994:15)〕。初等教育を終えると1877年に16歳にしてマニラにあるアテネオ学院(現在のアテネオ・デ・マニラ大学 w:Ateneo de Manila University)に入学し、農学を学んだ〔安井(1994:18)〕。さらに同校で土地測量の技術を学びつつ、母が失明の危機に陥ると当時のフィリピンの最高学府サント・トマス大学で医学を学んだ〔安井(1994:18)〕。在学中の1879年にスペイン語の詩のコンテストで最優秀賞を獲得し、1881年9月にスペイン政府から「土地査定技師」の免許を授与されている〔安井(1994:18-19)〕。 リサールは父の反対を押し切って宗主国であるスペインのマドリッドに留学した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホセ・リサール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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