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ホッカイルソーは日本の競走馬。1999年のオールカマー (GII) に優勝した。全世界的にも数少ないマンノウォー系競走馬、種牡馬である。 ※なお、本文中の馬齢は旧表記(数え年)。 == 戦績 == 1994年9月11日、中山競馬場のサラ系3歳新馬(芝1600m)にてデビュー、鞍上は岡部幸雄(10着)。その後3度目の出走となる10月2日、中山競馬場のサラ系3歳新馬(芝1600m)にて初勝利をあげる。勝ち時計は1分38秒1。この時の鞍上は蛯名正義であった。 1994年はこのほかにきんもくせい特別3着、府中3歳ステークス1着、ホープフルステークス3着と掲示板にこそ載るが勝ちきれないレースが多かった。 1995年、休養に入ることなく翌年も走り、ジュニアカップを制して次の弥生賞では、馬場状態は重であったが2着に入った。クラシック戦線では皐月賞4着、東京優駿(日本ダービー)4着、セントライト記念4着をはさんで、菊花賞3着とクラシック皆勤を果たした。菊花賞後は、ディセンバーステークスに出走し2着となり、結局この年は掲示板を外さず、全て4着以上に入線している。 1996年の中山金杯、ダイヤモンドステークスと連続して3着に入った後、不良馬場となった日経賞で重賞初勝利を飾った。次走の第113回天皇賞(春)にてサクラローレル、ナリタブライアンに次ぐ3着に入った。ここまでデビュー戦に10着となって以降、全てのレースで4着以内に入線となった。しかし、屈腱炎を発症し休養を余儀なくされた。 1999年3月14日の中山記念 で約3年ぶりに復帰し8着。新潟記念2着を経てオールカマーを江田照男騎乗で出走し、2分12秒0というコースレコードで重賞2勝目を挙げた。このときの勝ち時計は2004年にコスモバルクの2分10秒1に破られるまで中山競馬場芝2200mレコードであった。この後、天皇賞(秋)に出走するも13着と大敗し休養に入りした。 2000年は大阪杯10着から、中2週でエイプリルステークスに出走し3着、さらに中2週で第121回天皇賞(春)に出走し5着に入ったが、再び屈腱炎を発症し5月31日付けで引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホッカイルソー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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