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ホッケンハイムリンク : ウィキペディア日本語版
ホッケンハイムリンク

ホッケンハイムリンク()は、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡にあるサーキットニュルブルクリンクと隔年でF1ドイツGPが行われる。
== 概要 ==
フランクフルトから車で南へ1時間、「黒い森」として知られる森林地帯に位置する。付近には古城街道など観光名所も多い。
1932年の開設当初は現在とは異なり反時計回りのコースで、ほぼ直線同士を繋いだ全長12kmのコースだった。現在の12コーナー~最終コーナー付近をスタートラインとし、後のオストカーブを直進し、現在の連邦道291号線からホッケンハイマー通りを経て後のクラークシケイン付近より現在のコースに戻り、更に現在の1コーナーを直進し、ホッケンハイムの市街地であるエルンスト=ヴィルヘルム=ザクス通りからハイデルベルガー通りを経て一周する。その後、1938年に街の反対側を曲線で繋いで後のオスト・カーブとなり、全長7.7kmのコースとなった。
しかし、1966年アウトバーンがコース脇を通ることになったため、更にコースを短縮せざるを得なくなった。そこでジョン・フーゲンホルツがサーキットを再設計し、3つのロングストレートとスタジアムセクションを結んだコースとなり、時計回りのコースに変更された。
1968年に雨の中行われたフォーミュラ2のレース中、事故によってジム・クラークが死亡してしまう。安全性向上のため、2つの長いストレートにシケインが作られた。1つめのシケインはジム・クラークの名前を取り、クラークシケインと呼ばれ親しまれた。
その後、1980年パトリック・デパイユの死亡事故を受けて、オストカーブ付近にも3つ目のシケインが作られた。その後は長きにわたって、森の中を走るストレートを3つのシケインで区切る形で構成する高速セクションと、曲がりくねった低速のスタジアムセクションの2つに分ける高速コースだった。しかし、1991年のエリック・コマスのクラッシュを受けてシケインが改修されるなど、小変更は何度か行われた。1980年代のオストシケインはただタイヤバリアで路面を区切っただけの急造シケインであり、タイヤバリアのタイヤが衝突の勢いでコース上に散らばる事がままあった。
右のコースで灰色のレイアウトはフォレストゾーンと呼ばれていた。コース両側が木々で囲まれているため、雨が降るとマシンが巻き上げる水飛沫が拡散しにくく、非常に視界が悪くなった。旧コースは1コーナーからすぐに右に曲がり、インフィールドの入り口にショートカットする2.6kmのショートコースも存在し、旧ドイツツーリングカー選手権などで使われていた。
2001年のドイツGP終了後、ヘルマン・ティルケの再設計による大改修が行われ、全長は6.823kmから4.574kmへ大幅に短縮された。森の中を時速360km以上で駆け抜けた超高速ロングストレートは姿を消し、よりタイトな中高速コースへと生まれ変わった。なお、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあった名残を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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