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スールー諸島の戦い[すーるーしょとうのたたかい]
スールー諸島の戦い(スールーしょとうのたたかい)は、太平洋戦争末期にフィリピンのスールー諸島で行われた日本軍と連合軍の戦闘である。アメリカ軍を主体とする連合軍が勝利し、日本軍は文字通り全滅した。 == 背景 == 太平洋戦争(大東亜戦争)中スールー諸島を占領した日本軍は、タウィタウィ島を日本海軍の泊地として利用するなどしていた。しかし、現地のモロ族ゲリラの活動が活発で治安状態は非常に悪かった。守備兵力は一時はタウィタウィ島に日本陸軍の2個大隊と海軍の第33警備隊が配置されていたが、日本艦隊が壊滅して泊地機能が無意味になったために、前者はボルネオ島へ、後者はミンダナオ島サンボアンガへ転進した。同島には第33警備隊ボンガオ残留隊(隊長:小川喜代松大尉)のほか施設隊や航空隊など200人程度の海軍要員のみが残置された〔田中知之 『八重の潮路の果てに―第一期海軍兵科予備学生の記録』 原書房、2008年、249-252頁。なお、施設隊には当初は台湾出身軍属200人が含まれていたが、アメリカ軍上陸前に転進済みだった。〕。1944年夏以降に本格的な防備が進められホロ島に独立混成第55旅団(旅団長:鈴木鉄三少将)が展開したが、装備は劣悪なうえ、本来は3個歩兵大隊基幹であるうち1個大隊をレイテ島の戦いに抽出されてしまった。連合軍の上陸時には、陸軍航空隊関係者1000人、海軍の第32特別根拠地隊や第33警備隊の各一部など350人を合せて約6000人がホロ島の守備についていた。 フィリピン全土の奪回を目指すダグラス・マッカーサー司令官の方針にもとづき、レイテ島・ルソン島の制圧後も、連合軍は各地に孤立した日本軍拠点へと侵攻を続けた。1945年3月にミンダナオ島に上陸した連合軍は、ついでアメリカ陸軍第41歩兵師団(師団長:ジェンス・ドゥー(Jens A. Doe)少将)の一部を投入してスールー諸島攻略を開始した。サンボアンガ上陸戦と同じ「ヴィクター4号」作戦の一環とされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スールー諸島の戦い」の詳細全文を読む
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