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ホワイトオーク湿地の戦い : ウィキペディア日本語版
ホワイトオーク湿地の戦い[ほわいとおーくしっちのたたかい]

ホワイトオーク湿地の戦い(ホワイトオークしっちのたたかい、)は、南北戦争2年目の1862年6月30日七日間の戦い半島方面作戦)の一部としてバージニア州ヘンライコ郡で起きた戦闘である。北軍ポトマック軍が南東のジェームズ川方向に後退するに従い、ウィリアム・B・フランクリン少将が指揮するその後衛部隊が、ホワイトオーク橋の渡しでストーンウォール・ジャクソン師団の進軍を止めさせ、砲撃戦となった。一方2マイル (3 km) 南のフレイザー農園では、グレンデイルの戦いという大きな会戦が起こっていた。ホワイトオーク湿地の戦いは通常大きなグレンデイルの戦いの一部だと見なされている。フランクリンの第6軍団に抵抗されたために、ジャクソンはロバート・E・リー将軍から命じられていたグレンデイルで北軍に対して統合して攻撃を掛けるという作戦に加われなかった。このホワイトオーク湿地の戦いは決着が付けられなかった。北軍は崩壊を避けられ、マルバーンヒルで強力な防御陣地を布くことが可能になった。
== 背景 ==
七日間の戦いは1862年6月25日のオークグラブの戦いという小さな戦闘で、北軍の攻撃で始まったが、北軍のジョージ・マクレランは直ぐに主導権を失い、南軍のリーが6月26日のビーバーダム・クリークの戦い、同27日のゲインズミルの戦い、同27日と28日のガーネッツ・アンド・ゴールディングズ・ファームの小戦闘と一連の攻撃を始め、さらには同29日のサベイジ駅の戦いでは北軍の後衛を攻撃した。マクレランのポトマック軍は安全圏であるはずのジェームズ川沿いハリソンのランディングに向かって後退を続けた〔Salmon, p. 64.〕。
マクレランのポトマック軍は6月30日正午までにホワイトオーク湿地クリークを大半が渡ることが出来ていた。軍隊の約3分の1はジェームズ川岸まで達していたが、残りはホワイトオーク湿地とグレンデールの間を行軍中だった〔Eicher, pp. 290-91; Kennedy, p. 98; Salmon, p. 113.〕。
リーはその北バージニア軍に、不適切な道路網のために糞詰まり状態になっている後退中の北軍に集中するよう命じた。ストーンウォール・ジャクソンはホワイトオーク湿地の渡しで北軍の後衛に圧力を掛けるよう命令されており、リー軍の大部分、45,000名ほどは約2マイル (3.2 km) 南西のグレンデールでポトマック軍中央を攻撃し、それを2つに割らせることを目指した〔Eicher, p. 291; Salmon, pp. 113-15.〕。
ストーンウォール・ジャクソンはシェナンドー渓谷バレー方面作戦で輝かしい名声を得ていたが、この七日日間の戦いでリーの下に付いてからは功績が無かった〔See, for instance, Freeman, ''R.E. Lee'', vol. 2, p. 247: "... by every test, Jackson had failed throughout the Seven Days."〕。おそらくはそのバレー方面作戦での行動とシェナンドー渓谷からの移動によって疲労が蓄積しており、メカニックスビル(ビーバーダム・クリーク)に遅く到着し、戦闘の音がはっきりと聞こえる距離にあったにも拘わらず、兵士達に露営を命ずると言う不可解な行動を採っていた。ジャクソンはゲインズミルの戦いでは遅延しており、方向を見失っていた。サベイジ駅の戦いでも遅れた〔Salmon, pp. 64-65.〕。リー軍のグレンデール攻撃を支援するために期待されている行動はジャクソンに新たな可能性を提供するはずだった。ジャクソンとリーは6月30日朝にサベイジ駅で対面しており、リーの正確な命令は記録されていないが、ジャクソンにはホワイトオーク湿地まで行軍し、そこで北軍と交戦して、グレンデイルで後衛の残り部隊を補強させないようにするというのがその命令だったはずである〔Salmon, p. 117.〕。
ホワイトオーク湿地を南に最後に行軍し、その結果ジャクソン隊の標的にされたのはウィリアム・B・フランクリン准将指揮下の第6軍団であり、ウィリアム・F・"ボールディ"・スミスとイズラエル・B・リチャードソン各准将の師団で構成されていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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