|
ホワイトサンズ国定記念物(ホワイトサンズこくていきねんぶつ、英:White Sands National Monument)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州オテロ郡にあるアラモゴードの南西およそ25 km (15 mi)、標高約1,200 m (4,000 ft) に位置する白い大砂丘地帯。 アメリカ合衆国国定記念物に指定されている。山に囲まれたトゥラロサ盆地にあり、石膏の結晶でできた約710 km2 (275 mi2) の広大な白い砂丘の南部から成る。 == 歴史 == 1933年1月18日に、ハーバート・フーバー大統領が1906年の古物保存法の権限の下でホワイトサンズ国定記念物を設置した。 アメリカ合衆国が1876年に独立100周年を迎えるのを前にして、それを記念する遺産登録事業が考えられたが、アメリカはまだ若い国であったためヨーロッパのような伝統的な建築、芸術、文学のような文化遺産があまりにも少なかった。そこで、当時の指導者達は、特にアメリカ西部で見つかる壮大な景観を国の誇りとして登録してはどうかと考えた。アメリカにおける国立公園の興りである。さまざまな自然遺産を国立公園として登録することは、そこに訪れる観光客に対するサービスを提供する業者などを近隣へ誘致し、雇用を創出することになったため、地元に少なからぬ経済効果をもたらした。このため、各州の政治家達は地元に国立公園を設立しようとする提案をこぞって提出するようになった。これは、ホワイトサンズ国定記念物があるニューメキシコ州も例外ではなかった。 1912年にA・B・フォール上院議員がサクラメント山脈一帯を含むメスカレロ国立公園を請求したが、指定されると狩猟が制限されインディアンの生活が脅かされることになるためにほとんど支持を得られることなく、この一帯はリンカーン国有林の一部に統合されることになった。フォール上院議員が内務長官に就任した後の1921年に、同議員は再びオール・ウェザー国立公園という野心的な国立公園案を考えたが、あまりにも広大で趣旨に一貫性のない案であったため反感を買い、やはり早々に計画は消えていくことになる。しかし、この国立公園案の一部に含まれていたホワイトサンズが脚光を浴び、国立公園に推挙されることになる。推進派のリーダーであったトム・チャールズは「ホワイトサンズのこの雪花石膏の砂丘の美しさと壮麗さは他に類を見ない」としてホワイトサンズの国立公園指定に熱意を傾け、砂丘の価値についての彼の認識も正確であることもわかった。国立公園局 (National Park Service, NPS) による研究の結果、砂丘は国立公園の基準を満たさないかもしれないが、国定記念物として維持するのに理想的な場所だと断定された。ニューメキシコ議会代表派遣団の全面的な支援により、フーバー政権の終わり頃にホワイトサンズの国定記念物としての指定が成し遂げられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホワイトサンズ国定記念物」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|