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フアン・サミュエル(Juan Milton Samuel , 1960年12月9日 - )は、ドミニカ共和国・サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(二塁手、一時は外野手)。右投右打。 == 経歴 == にフィラデルフィア・フィリーズと契約し、プロ入りを果たした。 8月24日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビューを果たした。 には野球殿堂入りのベテラン、ジョー・モーガンをオークランド・アスレチックスに追いやってレギュラーに定着。この年160試合に出場し、191安打を打って打率.272、二塁打36、三塁打19、本塁打15、打点69、盗塁72を記録し、オールスターにも初出場。 この年から四年連続して「二塁打・三塁打・本塁打・盗塁すべて10本以上」を記録(メジャー史上初)。 新人王はニューヨーク・メッツのドワイト・グッデンに譲ったが、選出されてもおかしくない大活躍をみせた。 ただし、失策33は守備面の不安を、168三振は選球眼の悪さを露呈した。この年からまで9年連続して120以上の三振(までは5年連続で140以上)を喫した。 ドミニカのプレイヤーらしいスピードとパワーあふれるプレイで、盗塁はこの年が最多であったが30盗塁以上を7シーズン。 には28本塁打・100打点を記録するなど長打力も身につけ、2度目のオールスター出場。そしてシルバースラッガー賞を受賞した。 は三塁打が9に終わり、1本の差で先述の記録が途絶えた。 守備面の不安や二塁手トム・ハーの移籍加入もあって、には外野(中堅手)にコンバートするが、開幕から51試合出場で打率.246と不振。 この年6月18日にレニー・ダイクストラ、ロジャー・マクダウェルとの交換トレードでニューヨーク・メッツに移籍。 これは、不可解な(失敗した)トレードの多いメッツの歴史の中でも、もっとも失敗したトレードのひとつに数えられる。 移籍後、サミュエルは打率をさらに落とし(メッツ移籍後に限ると.228)、逆に移籍したダイクストラ、マクダウエルはいずれも活躍。特にダイクストラはリーグを代表する一番打者になった。 にはロサンゼルス・ドジャースに移籍し、二塁に再転向。レギュラーとしての起用は3度目のオールスター出場を果たした。 までで、以後は5チームを行ったり来たりしてまで現役を務める。晩年は代打や一塁手、指名打者(DH)としての出番が多かった。 引退後、からまでデトロイト・タイガースのコーチ、はニューヨーク・メッツ傘下2Aビンガムトンの監督、からまでボルチモア・オリオールズ でコーチ(2010年はデーブ・トレンブリー解任後、バック・ショーウォルターが就任するまでは監督代行を務め、16勝31敗の成績を残す)を歴任し、よりフィラデルフィア・フィリーズの三塁コーチ。 には第3回WBCのドミニカ代表のコーチを務めた。同大会でドミニカ共和国は優勝した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フアン・サミュエル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Juan Samuel 」があります。 スポンサード リンク
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