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ホンダポイント遭難事件 : ウィキペディア日本語版 | ホンダポイント遭難事件[ほんだぽいんとそうなんじけん]
ホンダポイント遭難事件(ホンダポイントそうなんじけん、)は、アメリカ海軍にとって平時に起きたものとしては最大の損失事故である。 1923年9月8日の21時過ぎ、20ノットで航行していた14隻の駆逐艦のうち7隻が、位置測定の誤りによりホンダポイント(サンタバーバラ海峡北口から3~4kmのカリフォルニア沿岸)で次々に座礁した。他に2隻が乗り上げたが、自力で岩礁から離脱した。23名の乗員がこの事故で死亡した。 == ホンダポイントの地理 == ホンダポイント(またはペダーナルズポイント)周辺は、中部カリフォルニアの船乗りたちとって極めて危険な場所であった。およそ400mにわたって「悪魔の顎」と呼ばれる一連の岩礁(その一つは今日、「駆逐艦岩(''Destroyer Rock'')」と呼ばれている。)が断続的に露頭しており、1500年代に初めてスペインの探検隊が訪れた時から既に航海の難所とされていた。しかし一方で、大陸岸とチャンネル諸島の間、幅20~40kmほどのサンタバーバラ海峡への入口でもあった。この海峡は南カリフォルニアの諸港を行き来する船が近道としてよく利用していたが、時には危険な場所となった。 海峡を通り抜けようとする船乗りにとって問題となるのは、ここが西海岸において最も風の強い場所の一つであるということだった。危険なほどの風や波によって、通過船がサンミゲル島の小さな港に避難しなければならないことも多く、波高6~9m以上にもおよぶ波のためにサンタバーバラ、ヴェントゥーラ、ポートワイニーミ、オックスナードの諸港が一時的に閉鎖されることもしばしばであった。海峡入口の地形は、太平洋の嵐のうねりを海峡に吸い込む渦のように作用している。最も危険な地域はペダーナルズポイントの東から、南に面した荒れ果てた海岸(その多くは現在、ロケット発射場のあるヴァンデンバーグ空軍基地の一部をなしている)に沿い、サンタイネスヴァレーから下る国道101号線が海岸に出会うガビオタクリークに至るまでの範囲である。そこでは、船は陸に向かって吹きつけられ、あるいは夏の中部カリフォルニア沿岸で頻繁に発生する濃霧に包まれる。そして自らの位置を見失った船は簡単に座礁してしまう。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホンダポイント遭難事件」の詳細全文を読む
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