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カブ(Cub)とは、本田技研工業が製造・販売するオートバイのシリーズ。 元々「カブ」は1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)まで生産された自転車補助エンジンキットに採用された商標である。英語で熊など猛獣の子供を意味する「''cub''」に由来し、小排気量ながらパワフルなことをアピールした。 現在「カブ」の呼称は、1958年(昭和33年)から生産開始されたセミスクータ型のモペッドであるC100型以降のシリーズ名「スーパーカブ」を略した通称として定着している。 C100に始まるスーパーカブのシリーズは耐久性と経済性に優れており、2014年現在も数車種が継続生産され、世界各国で販売されている。20世紀のモータリゼーション史上、四輪自動車のT型フォードやフォルクスワーゲン・タイプ1にも比肩しうる貢献を残した二輪車である。発売開始後50年以上を経ても多くの原設計を引き継ぎ改良を続けた上で製造・販売される人気車種であることは特筆すべき事実である。 ホンダによると本シリーズの累計生産台数は2014年(平成26年)3月時点で8,700万台以上〔「スーパーカブ」の形状が日本で立体商標登録認可 ~乗り物として初の快挙達成~ 〕に達し、輸送用機器の1シリーズとしては世界最多量産・販売台数を記録する〔発売開始年だけでも9万台売れたという記録がある。〕〔「乗り物に関する世界一の一覧」も参照。〕。 スーパーカブ出現後の1960年代以降、類似形態のセミスクータ型モペッドとして、ライバルメーカーのヤマハがメイトを、スズキがバーディーを製造販売するようになり、結果として小型実用オートバイの市場にひとつのカテゴリを確立させたことから、類似車もまとめたカテゴリ名としても使われるようになった〔あるカテゴリを確立した商標がカテゴリ名称としても使われる「製品名の代名詞化」や「商標の普通名称化」などと呼ばれる現象で、他にも以下の例がある。 *先駆となったヤマト運輸の「宅急便」が、ライバル会社が後から追従したサービスも含め宅配便サービス全般を意味する。 *クリネックスがティッシュペーパーカテゴリを確立したことから、後に他社が製造販売する類似商品も含めて「クリネックス」と呼称するようになった。 *普通紙コピー機市場におけるゼロックス、携帯型カセットプレーヤー市場におけるウォークマン、電子オルガン市場におけるエレクトーンなども同様である。〕。 長らく日本国内および国外で生産が続けられていたが、2011年にホンダが小型二輪車の生産拠点海外移管計画を企画したことから、2012年のモデルチェンジでは日本国内での生産終了が発表された〔ホンダ「カブ」国内生産終了へ 熊本製作所、400人配転。 - 西日本新聞2012年1月22日〕。しかし後に方針を変更し一部モデルは2014年現在も熊本製作所での生産を続けている。 == カブ(1952年)== 1952年から製造販売した自転車補助モーター(小型ガソリンエンジンキット)「F型」の愛称。 新興メーカーであったホンダは、1946年(昭和21年)に自転車補助モーター分野に進出した。当初は旧日本陸軍の小型発電機用エンジンの流用からスタートしたが、その後自社開発エンジンに移行。以後の通常型オートバイ分野への進出を助けた。 初期の補助モーター製品は、エンジン本体が本格的オートバイ同様にペダル付近に搭載されるため、女性の場合オイルなどでスカートを汚しやすい問題点を抱えていた。「カブ」はこれを解決すると同時に販路拡大を狙って開発された。 排気量49.9cc・最高出力1ps/3,600rpmの2ストロークエンジンは、最大の特徴として在来型補助モーターとは異なり後輪左側面に搭載され、駆動系統も全て後輪周辺で完結する構造を採用した。これによりオイル飛散による乗り手の足元汚れの問題が解決し、取り扱う業者にとっても、自転車への組み付け作業やメンテナンスの簡易化を実現した。純白の琺瑯処理タンクと「Cub」のロゴが入った赤いエンジンカバーから「白いタンクに赤いエンヂン」のキャッチコピーが付けられた。 製造面ではダイキャストを多用したことで生産性を向上させ、輸送面では、キット類をコンパクトな箱一つに収めて送り届けやすくするなどの配慮が為された。 販売面では、外交員に飛び込み営業させる従来の常道を取らず、日本全国に50,000軒ほど存在する自転車店に取扱を勧める営業ダイレクトメール(DM)を送る、当時としては画期的な拡販手段を展開させたことが特筆される。この時は創業者本田宗一郎の右腕である営業・経理部門トップの藤沢武夫が自ら勧誘文章を練り、「1台の定価25,000円、卸価格19,000円。代金は前金で願いたい」という内容のDMを社員・代筆業者・取引銀行の担当者を総動員させ宛名書きした。「ホンダ」の知名度が低かった当時は詐欺とも誤解されかねなかったが、早々に5,000軒もの自転車店が反応しほどなく注文が殺到した。 その後数年間、カブFはホンダの経営を支える重要製品になると同時に、既存自転車店を自社製品のディーラー網として開拓して行くきっかけともなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホンダ・カブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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