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ホーム・ガード()とは、第二次世界大戦中のイギリスで編成された民兵組織である。ナチス・ドイツによる本土侵攻に備えて、17歳から65歳までの男性の義勇兵により組織され、総兵力は150万人と公称した。編成当初は地域防衛義勇隊(Local Defence Volunteers, LDV)と呼ばれた。ナチス・ドイツの国民突撃隊や日本の国民義勇隊に相当する。日本語では郷土防衛隊や国防市民軍兵などと訳すことがある。 == 沿革 == 第二次世界大戦開戦まで、イギリス政府はこうした民兵組織の設置を想定していなかった。しかし西部戦線での戦況悪化に伴い、イギリス各地で武装した自警団の編成が行われるようになった。1940年5月にはこうした民間の動きに同調する形で政府主導の民兵組織たる「地域防衛義勇隊」(Local Defence Volunteers, LDV)の設置が決定したのである。 1940年5月14日の夜、アンソニー・イーデン陸相が次のようなラジオ演説を行い、新たな民間防衛組織の設置を宣言すると共に志願者の募集を行った。 政府は15万人程度の志願者を見込んでいたが、放送から24時間以内に早くも25万人が登録手続きを行った。さらに5月末までには30万~40万人が登録を行い、6月末までの登録者数は150万人程度に達した。兵力は1943年3月の180万人がピークで、以後解散まで100万人を下回ることはなかった〔。入隊資格は「17歳から65歳までの男性のうち、ライフルを撃つことが可能で、自由に動けるもの」とされていた。ただし、この入隊資格について厳格な審査が行われたわけではない〔。隊員として集められたのは通常兵役の対象外の男性、すなわち若すぎるか、歳を取り過ぎているか、兵役猶予職(Reserved occupation)にある者ばかりだった〔。 1940年7月、ウィンストン・チャーチル首相の命令により組織名がホーム・ガードへと改められた。チャーチルは7月14日のラジオ放送で、ホーム・ガードについて次のように語っている。 その後、政府の援助の下で武器の配布や訓練が進められた。初期の訓練では国際旅団の一員としてスペイン内戦に従軍した経験のある者が自主的に指導を行っていたが、9月からは陸軍の指導による正式な訓練が始まった。 ホーム・ガードに期待された主な役割は、ドイツによる英本土侵攻が現実のものとなった時、正規軍が展開し戦線を構築するまでの時間を稼ぐことだった。こうした役割のほか、後には不発弾処理、高射砲および沿岸砲の操砲にも従事するようになり、終戦までに1,206人のホーム・ガード隊員が戦死した。 ドイツ軍の上陸の危険がなくなった1944年12月3日まで活動が続けられた。第二次世界大戦終結後の1945年末日に解散となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホーム・ガード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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