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ホーランジアの戦い : ウィキペディア日本語版
ホーランジアの戦い[ほーらんじあのたたかい]

ホーランジアの戦い(ホーランジアのたたかい、)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中の1944年4月下旬から6月下旬に、日本軍とアメリカ軍の間で、ニューギニア島北岸の町ホーランジア(現在のジャヤプラ)で行われた戦闘である。アメリカ軍の作戦名はレックレス作戦(Operation Reckless)である。
== 背景 ==
戦争初期に太平洋に面したニューギニア北岸一帯から東岸までを占領した日本軍であったが、1942年7月からのポートモレスビー攻略作戦は失敗に終わった。連合軍の反撃が始まり、ブナ方面の作戦バサブアの戦いラエの戦いフィンシュハーフェンの戦いと次々に日本軍(第18軍)は敗北、1944年4月頃には第18軍の主力はマダン~ウェワクの間に展開して疲弊した軍の回復を計っていた。
ホーランジアは良好な港湾と飛行場適地があり1943年3月に日本海軍が飛行場を建設した。その後は陸軍により飛行場の増設が行われ、ウェワク方面の後方基地と補給拠点の役割を果たしていた。連合軍上陸前の4月20日時点では、日本陸軍の第18軍兵站関係者約6,600人、第6飛行師団を中心にした第4航空軍関係者約7,000人、海軍の第9艦隊関係者約1,000人の計約14,600人が駐留していた〔戦史叢書 84 P.21〕。兵力は多かったが、兵站関係部隊と航空関係部隊がその大部分を占め地上戦闘員は少数であった。わずかに南洋第6支隊が守備隊として送られたが、現地で兵員調達の予定のため幹部要員のみで、しかも輸送船を撃沈されて兵器弾薬を喪失した状態で到着していた。
航空関係の部隊が多かったのは東部ニューギニアの戦況が悪化する中、1944年3月頃からウェワク方面の第4航空軍のホーランジアへの後退を進めていたからである。第4航空軍の司令部は3月25日にウェワクからホーランジアに後退したが、3月30日に連合軍の大空襲を受け130機余りが地上撃破された〔戦史叢書 22 P.264, 戦史叢書 23 P.339〕。これは前年8月のウェワク空襲での損害に続く失態で、第4航空軍と第6飛行師団の幹部3名が更迭され、第6飛行師団長心得に稲田正純少将が発令された〔戦史叢書 22 P.270〕 。稲田少将は4月11日にホーランジアに到着したが、その10日後に連合軍の上陸を迎えることになる。第4航空軍は、南方軍の指揮下に入ることになり、4月15日に司令部をホーランジアからセレベス島のメナドに移動した。連合軍は上陸前日の4月21日にも空母部隊による大空襲を行い、これによりホーランジアの日本軍航空機は壊滅した。

連合軍は1944年2月末からアドミラルティ諸島の攻略を開始し、ここの日本軍を制圧してラバウル包囲網を完成させ、カートホイール作戦の目標の「ラバウルの無力化」を達成した。アドミラルティ諸島はさらに西に向かう連合軍の重要拠点として海空の基地の整備が行われた。連合軍は続いてフィリピンに向けてさらに前進するため、航空基地を開設することを主目的としてホーランジア(ウェワクの西約350Km)へ上陸することにした。しかし、ホーランジアは連合軍の既存の基地から遠く、また長期にわたり空母航空機の支援に依存することはできないため、上陸後の航空支援をどうするかが最大の課題であった。検討の結果、アイタペ(ウェワクの西約150Km、ホーランジアの東約200Km)には日本軍の飛行場があるが防衛体制は薄弱なので、上陸後48時間で戦闘機用の飛行場として整備することができ、ホーランジアでの戦いの航空支援に使用できると判断された。また、アイタペはウェワクの日本軍が西に進撃してきた場合の防衛ラインにも適していると考えられた。これらの理由によりアイタペにも同時に上陸することが決定された〔戦史叢書 84 P.17〕。
アメリカ軍はホーランジアに約4万人の兵力を、アイタペには2万人を投じることにした。また3月末にはホーランジア上陸の準備としてホーランジアに近いパラオの日本軍基地をアメリカ軍空母部隊(第58任務部隊)が空襲(ディセクレイト・ワン作戦, en)して日本軍の航空、海上戦力を制圧した。ホーランジアとアイタペへの上陸日は4月22日に決まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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