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ホールデン・ロベルト : ウィキペディア日本語版
ホールデン・ロベルト

ホールデン・アルヴァロ・ロベルトHolden Álvaro Roberto1923年1月12日2007年8月2日)は、アンゴラ民族主義者政治家アンゴラ民族解放戦線(FNLA)の創設者、指導者。コンゴ族出身。アンゴラの公用語であるポルトガル語に近く表記するならば、オールデン・アルヴァロ・ロベルトとなる。
== 生い立ち、初期の経歴 ==
1923年1月12日ガルシア・ディアシワ・ロベルト(Garci'a Diasiwa Roberto)とジョアナ・ララ・ネカカ(Joana Lala Nekaka)夫妻の子として、ポルトガル領アンゴラのサン・サルヴァドル(現在のンバンザ・コンゴ / M'banza-Kongo)に生まれる。生家は旧コンゴ王国の王家に連なる一族とされる。1924年ロベルトの一家は、ベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)のレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)に移った。幼少年時代にはバプティスト派ミッション・スクールで学び、1940年にミッション・スクールを卒業した。卒業後は、ベルギー領コンゴ総督府の財務省に勤務し、レオポルドヴィル、ブカブスタンリーヴィルなどで働いた。1951年アンゴラを訪れ、ポルトガル人黒人の老人が虐待されているところを目の当たりにしたのが、ロベルトの政治民族意識を開くきっかけになったとされる。以後もコンゴや北アンゴラの民族主義者から影響を受け、政治意識を高めていった。
なお、この間、1949年から1957年の間にレオポルドヴィルの貿易会社に勤務していたとも言われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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