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ホー・バン・ラン(、1971年 もしくは 1972年 - )は、ベトナム戦争の戦火のため、2歳のころに、父親ホー・バン・タイン () とともにジャングル(密林)に避難して、社会と隔絶された自給自足の生活を送り、そして約40年ぶりにジャングルでの生活から保護された男性である。2013年の保護当時、ランは41, 42歳であり、父親タインは82歳だった。 1970年代初め(1973年という報道もある)、ベトナム戦争当初のホー親子は、ベトナム中部・クアンガイ省のベトコンの集落(村)に住んでいたが、アメリカ軍の爆撃、又は地雷により、自宅のそばで、父タインの妻(ランの母)と、タインの4人の子供のうち2人を殺される。タインはショックや悲しみから、当時2歳だった息子のランを連れて、ジャングルに身を隠すようになった。〔密林40年生活の父子保護 ベトナム中部、戦争中から - MSN産経ニュース 2013.8.9 22:04 産経新聞〕〔ベトナム戦争中に森に隠れた父と息子、故郷の村に連れ戻される 写真8枚 国際ニュース 2013年08月10日 15:41 AFPBB News 〕 10年後の1980年代初め、村人によりホー親子が生存していることを発見されると、タインの生き残った別の息子ホー・バン・チ () が2人を訪ねて、文明社会に戻るように説得したが、聞き入れられなかった〔。また2004年には、2人はいったん山を下ろされたが、故郷の村の生活になじめず、「山が恋しい」と再び戻った〔朝日新聞デジタル:戦火逃れ、密林で2人きり40年 ベトナムで父子保護 - 国際 2013年8月10日17時38分 朝日新聞〕〔。その後、チは毎年、塩と油を届けていた〔Missing Father And Son Found After 40 Years In Vietnam Forest, Ho Van Thanh Wants To 'Go Back' on August 08 2013 2:23 PM, International Business Times (IBTimes)〕〔。 2013年8月7日、地元の発見者の通報を受けて、地元の捜索隊が2人の保護をした。約40年の歳月が流れていた。〔〔 この歳月の間、クアンガイ省・ () の森の中を約40キロメートルほど入った場所で、2人は社会との関係をほぼ持たず、地上約5 - 6メートルの木の上に、木の枝と葉で作った手製の小屋に住んでいた。樹皮で作った腰蓑(ふんどしの形状)だけを身に着け、ベトナム戦争の砲弾が材料の〔、手製の斧(山刀)で薪をとっていた。キャッサバ(イモ)やトウモロコシを栽培し、野草と果物、弓矢とナイフで狩り(狩猟)をした肉などを食べて過ごしていた。〔〔〔Vietnamese father and son found living in a treehouse for 40 years - Telegraph 6:43PM BST 08 Aug 2013 〕 発見時、ランは、出身民族の少数民族・(コー族)の単語をわずかしか話せない状態で、意味のある会話ができない状態であった〔〔Father And Son Coaxed From Jungle 40 Years After Vietnam War : The Two-Way : NPR August 09, 201310:22 AM 〕〔。父タインは話をする習慣を忘れており、そのうえ、高齢のタインは自力で歩けぬほど衰弱していた〔。 また、住んでいた小屋の中には、父タインが過去着用した兵士のズボンが折りたたまれて保管され、ランが幼い頃に身に着けていた小さな赤いコートとが残っていた〔。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホー・バン・ラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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