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ボストン絞殺魔事件[ぼすとんこうさつまじけん] ボストン絞殺魔事件(ボストンこうさつまじけん、)は、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンで1962年から1964年にかけて起きた連続殺人事件。約1年半の間、上は75歳から下は19歳まで、計13人の女性が性的な暴行を受けた上で殺害され、当時のボストン市民たちを恐怖に陥れ、大きな影響を与えた。1965年に犯人とされる人物が断定され、その人物が刑務所内で死去したことで、事件は一応の終息を見せたものの、1980年代以降には冤罪説が数多く浮上し、再び脚光を浴びている。 == 概要 == 1962年6月14日に55歳の女性アンナ・スレッサーズが自宅で殺害されたことを皮切りに、約2ヵ月間で50歳代から70歳代までの女性たちが絞殺体で発見された。いずれも共通点として、遺体発見時はほぼ全裸であり、強姦はされていないものの性的な暴行を受けた形跡があり、絞殺にはパンティストッキングやタイツなどその女性の衣服が用いられていた。また、絞殺に用いた衣類を蝶結びにしたり、殺害後の遺体の女性器を露出状態にしたりと、異常な性的嗜好の持ち主による犯行にも見受けられた。センセーションを売り物とする新聞は当時、これらの犯人を「絞殺魔 (Strangler)」の名で報道した〔。 同年12月5日にソフィー・クラークの絞殺体が発見されたが、以前の被害者と違い、今回は20歳の若い女性で、これまでになかった強姦の形跡があった。同月12月31日に絞殺されたパトリシア・ビセットも20歳代であり、やはり強姦の形跡があり、さらに絞殺の形跡はあったものの直接の死因は刺殺であった。その後も翌1963年まで、20歳代、50歳代、60歳代の女性と被害が続いた。この年の最後の犯行は11月23日だったが、これは第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された翌日であり、アメリカ中が喪に服している最中でのこの犯行を、ある精神医学者は後に「近代犯罪史上稀に見る誇大妄想狂による犯行」と呼んだ〔。 1964年1月4日に最後の犯行が行われた。被害者はメアリー・サリバン、これまでで最年少の19歳であり、発見時にはベッドの上で両膝を立てて脚を広げ、陰部に箒を挿入されているという、全犯行中で最悪の姿であった〔。しかも1月の犯行ということで、現場にはグリーティングカードが残されており〔〔、さらにフィルムの包み紙らしきものが残されていたことから、あたかも犯人は自分の成果を写真に収めたかのようであった。芳紀19歳の少女へのこの残忍な犯行に対し、ボストン市内では犯人に対してこれまでにない怒りが巻き起こった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボストン絞殺魔事件」の詳細全文を読む
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