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ボビー・チャールズ (Bobby Charles, 1938年2月21日 - 2010年1月14日) は、アメリカ合衆国のシンガー、ソングライター。1955年にチェス・レコードからデビューし、"See You Later Alligator"などの楽曲を生んだが、作品は決して多くない。ライヴ活動を極度に嫌っていることでも知られる。一方、彼の書いた曲はファッツ・ドミノ、ビル・ヘイリー、ドクター・ジョン、レイ・チャールズなど数多くのアーティストに取り上げられており、ソングライターとしての存在感を示し続けている。 ==来歴== 本名、ロバート・チャールズ・ギドリー。1938年2月21日、ルイジアナ州南部の街、アブヴィルでケイジャンの家系に生まれた。幼少期から、ケイジャン音楽を聴いて育つ。 通っていた学校では、後にセッション・ドラマーとして活躍することとなるウォーレン・ストームに出会い、彼とともに曲を書いたりデモ・テープを作るようになった〔"Walking to New Orleans - The Jewel & Paula Recordings 1964-65"ライナー・ノーツ(ポール・ハリス著)〕。 地元でカーディナルズというローカル・バンドへの参加を経て、1955年、チャールズはチェスのオーディションを受け同レーベルと契約。デビューに当たって、名前からギドリーを取りボビー・チャールズと名乗るようになった。チェスには1957年まで在籍。多くの曲をレコーディングしたものの、ヒットには恵まれなかった。シカゴにあったチェスは電話でオーディションを行い、契約した際にチャールズとは会っておらず、当初は彼が黒人であると思っていたと言う〔。その後、インペリアル、ジュウェル/ポーラ等のレーベルにレコーディングを残した後、しばし足跡が途絶えている。 1970年代に入れると一時期、ニューヨーク州ウッドストックへ住居を移し、同じ街に住んでいたザ・バンドのメンバーらのミュージシャン達との結びつきを強めた。1972年、チャールズは初のフル・アルバムとなる''Bobby Charles''をベアズヴィルよりリリース。この作品は、リック・ダンコとジョン・サイモンがプロデュースを担当。ザ・バンドのメンバーに加え、ドクター・ジョン、デイヴィッド・サンボーンらが参加した。 1976年には、ザ・バンドの解散コンサート、ラスト・ワルツに参加。1978年にはリヴォン・ヘルムのRCOオールスターズの一員として来日もしている〔レコード・コレクターズ誌「ザ・バンド/ラスト・ワルツ」(2002年6月号)〕。 その後、また暫く空白期となるが、1987年に久々の新作''Clean Water''をリリース。1990年代には、カナダのストーニー・プレインより2枚のアルバムをリリースするなど、マイペースながら活動を続けている。一方で、ライブ活動からは一層遠ざかるようになり、2004年には、ポンデロサ・ストンプ、2007年にはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルへの出演がそれぞれ決まっていたにも関わらず、いずれも出演を取りやめている〔"Lost Legend," New Orleans Times Picayune, 28 April 2007 〕。ドクター・ジョンのアルバム『シティ・ザット・ケア・フォーガット』(2008年)では5曲をドクター・ジョンと共作し、さらに自作曲"Promises, Promises"も提供した。 2010年1月14日、自宅で倒れ死去。直接の死因は明らかになっていないが、糖尿病など健康上の問題を抱えており、腎臓がんの治療から回復中だった〔Bobby Charles Passed Away 14 January 2010 — by Alex Rawls (OffBeat) 〕〔Louisiana Songwriter Bobby Charles Dies at 71 By STACEY PLAISANCE Associated Press Writer 〕。生前に新作のレコーディングを済ませており、2010年2月に『Timeless』としてリリースされることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボビー・チャールズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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