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ボビー・ボンズ(Bobby Lee Bonds、1946年3月15日 - 2003年8月23日) は、メジャーリーグの元野球選手。外野手。右投げ右打ち。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。バリー・ボンズの父。 == 来歴 == 1964年にサンフランシスコ・ジャイアンツに入団。1968年6月25日、キャンドルスティック・パークでのロサンゼルス・ドジャース戦で「7番・ライト」でメジャーデビュー。3打席目でメジャー初安打となる満塁本塁打を打った。 1969年はリーグトップの120得点を記録したが三振も多く、当時メジャー記録の187三振を喫してしまう。翌1970年には自己記録を更新する189三振を記録。この記録は2004年にシンシナティ・レッズのアダム・ダンが195三振を記録するまでメジャー記録だった。 1970年には球団新記録の48盗塁を記録。翌1971年は33本塁打、102打点を挙げチームの地区優勝に貢献するが、リーグチャンピオンシップシリーズでピッツバーグ・パイレーツに1勝3敗で敗れた。結局、この年が唯一のポストシーズン進出となった。 1973年は先頭打者本塁打11本を含む39本塁打を記録。シーズン先頭打者本塁打11本は、現在もナショナルリーグ記録である。この年のオールスターゲームでは5回に2ラン本塁打、7回に二塁打を打ち、MVPを受賞した。またこの年43盗塁を記録し、自身初の「30-30」を達成。ニューヨーク・ヤンキースに移籍した1975年にも32本塁打・30盗塁で「30-30」を達成し、両リーグで達成した初の選手となった。通算では5回達成しており、息子のバリーと並ぶ最多記録。親子で「30-30」を達成したのもボンズ親子が初めてでかつ2014年現在では唯一の例である。ただし、バリーが3回記録したトリプルスリーは打率3割を1度しか記録していない(1970年、48盗塁したが本塁打26本で逃す)こともあり、縁がなかった。 ヤンキースに移籍後は7年間で7球団を渡り歩き、1982年に引退。1978年にはウィリー・メイズに次いで史上2人目の「300本塁打・300盗塁」を達成。後にバリーも300本塁打・300盗塁をクリアしており、これも親子での達成となった。 先頭打者本塁打が35本。これは2006年シーズン終了時点では歴代4位の記録。 引退後、1984年から1987年までクリーブランド・インディアンスの打撃コーチを務め、1993年にはバリーが入団したジャイアンツのコーチに就任した。 2003年8月23日、肺癌と脳腫瘍のため57歳の若さで死去した。 兄のロバート・ボンズはNFL選手、姉のロジー・ボンズは1964年東京五輪にも出場した陸上のハードル選手である。息子はボビーの他、リック・ボンズとボビー・ボンズJrがいる。ボビーJrも野球選手であったがメジャーには昇格できなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボビー・ボンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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