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ロバート・カミングス(Robert Cummings、1910年6月9日 - 1990年12月2日)は、アメリカ・ミズーリ州出身の俳優。ボブ・カミングス(Bob Cummings)の表記もある。 日本ではアルフレッド・ヒッチコック監督作品『逃走迷路』(1942年)と『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)の2作品で知られるが、万年青年イメージのルックスを活かしたコメディ映画への出演が多い。 == 来歴 == 1910年、外科医であるチャールズ・クラレンス・カミングスの息子として生まれる〔''Bob Cummings Biography'' 〕。高校生の時より、代父(名付け親、godfather)であるオーヴィル・ライトから飛行の手ほどきを受けた〔James E. Wise & Paul W. Wilderson. "Stars in Khaki: Movie Actors in the Army and the Air Aervices," Page 189. Naval Institute Press, 2000〕〔"John Watson: A tour of Joplin Museum Complex" , Cleburne Times Review (Cleburne, TX) Published May 11, 2009. Accessed June 1, 2009.〕〔Christensen, Lawrence O. ''Dictionary of Missouri Biography'' , page 225. University of Missouri Press, 1999.〕。 1931年、ブロードウェイデビュー。英国人俳優がもてはやされていたことから、イングランドに渡り、上流階級のアクセントを学び、更に英国人風に見せるために芸名を「ブレイド・スタンホープ・コンウェイ(Blade Stanhope Conway)」とする〔Christopher Lyon, James Vinson, Susan Doll, Greg S Faller. "The International Dictionary of Films and Filmmakers", page 164. St. James Press, 1987.〕〔。 1934年、ハリウッドに渡り、芸名を「ブルース・ハッチェンス(Bruce Hutchens)」とする〔〔が、その後、本名の「ロバート・カミングス」に変更する。1939年、『庭の千草』で主演のディアナ・ダービンの相手役を演じて一躍スターとなる。その後多くのコメディ映画に出演。 1942年、第二次世界大戦に陸軍航空隊として従軍〔Ashbu, LeRoy. "With Amusement For All", page 265. Univ. Press of Kentucky, 2006〕〔〔。 1952年、テレビでの活動を開始。1954年に放送されたテレビドラマ『十二人の怒れる男(''Twelve Angry Men'')』(CBS)の演技でプライムタイム・エミー賞ミニシリーズ/テレビ映画部門主演男優賞を受賞〔1957年の映画版でヘンリー・フォンダが演じた役と同じ「陪審員8番」を演じた。〕。また、1955年から1959年まで放送された、自身が毎回主演を務めるシリーズ『''The Bob Cummings Show''』(NBC)はヒットとなり、1961年から1962年までCBSでも再度制作された。 1955年、『ディズニーランド(''Disneyland'')』(ABC)にリポーターとして特別出演。アート・リンクレターやロナルド・レーガンと共に、開園初日のディズニーランドの模様を生放送で伝えた。なお、1986年にも同シリーズのスペシャル番組で司会を務めたほか、1990年にはディズニーランド開園35周年の特別番組に出演した。これが生前最後のメディア出演となった。 1990年、腎不全により死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロバート・カミングス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Robert Cummings 」があります。 スポンサード リンク
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