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ポケット・ミュージック : ウィキペディア日本語版
POCKET MUSIC[ぽけっと みゅーじっく]

POCKET MUSIC』(ポケット・ミュージック)は1986年4月23日に発売された山下達郎通算8作目のスタジオ・アルバム
== 解説 ==
BIG WAVE』以来、オリジナル・アルバムとしては『MELODIES』以来約3年ぶりとなるスタジオ・アルバムで、『MELODIES』以来となるオリコンチャート1位も獲得した(当時のLP・CT・CDチャート全て)。
1980年代中盤のレコーディング環境は、従来の2インチ幅テープを使用するアナログ24トラックMTRから、デジタルマルチチャンネルレコーダーを用いたものに移行つつあった。また、シーケンサーが、SMPTEタイムコードによる同期の下、MIDIのコントロールによるポリフォニックな自動演奏が可能なものに進化し、商業音楽制作の現場において使用され始めた時期でもあった。
山下の周辺においても、DASHフォーマット準拠の24チャンネルデジタルマルチであるSONY PCM-3324を核とするデジタルレコーディングシステムが導入されていた。しかし、当時はデジタルの高いダイナミックレンジを活用することに最も重きが置かれた時代で、その結果、いわゆる「音圧」が低い、ガッツに欠けた音となり、多くのミュージシャンが、従来のアナログレコーディングとの間の違和感に悩んでおり、山下もその例外ではなかった。この時代のシステムと親和性が高かったのは、シンセサイザーを前面に押し出したヒップホップや、デジタルシンセやサンプラーの音を点音源のように音像内に配置した音楽(当時の山下は例としてスクリッティ・ポリッティの名をよく挙げていた)だったが、いずれもそれまで山下が制作してきた音楽とは趣を異にするものであり、山下自身も「ヒップホップなどの『いかにもデジタルな楽曲』を作れば、それまでやってきた人達にかなわない」と考えていたようである。
このような状況下において、本アルバムは、山下のディスコグラフィーにおいてもきわめて実験的な色彩の強いものとして制作された。山下は当時「これは試作品である」と発言しており、デジタルな環境と自らの音楽の間の違和感に対して、山下は次作『僕の中の少年』までトライ・アンド・エラーを重ねることになる。
また、起用するミュージシャンがキャリアを重ね、他のミュージシャンのレコーディングやライブ・ツアー等に起用される機会が増えたため、それまでの“練習スタジオに演奏者を集めてリスムパターンを練り上げ、レコーディングスタジオに持ち込んで録音する”という制作方法が次第に困難になり始めてきたことも障害となった。このアルバム以降、山下は自らの演奏と打ち込みによる多重録音を音楽制作の核に据えるようになっていった。
また、本アルバムは当初1985年発売を予定していたが、当初の Roland MC-4(『風の回廊』のシーケンスは当初これで行われている)から、 NEC PC-8801 + Roland MPU-401 + Roland MIF-PC8 + Roland MCP-PC8 / MRC-PC8 のシステムを経て、PC-9801+カモンミュージックRCP-PC98へと至る過渡期で、特にPC-8801ベースのシステムでは発音のタイミングに関する十分な精度が得られなかったため、発売を延期することとなる。その結果、アルバム・リリースにあわせて予定されていたコンサート・ツアー『PERFORMANCE'85-'86』も延期となり、翌年ツアー・タイトルを『PERFORMANCE '86』と改め1986年5月から行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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