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ポゴスト(、、。)とはルーシの行政・領土の単位である。キエフ・ルーシ期のポゴストはウロク(諸税)を徴収する役割を担った。日本語文献では「貢物納入所」という訳が当てられている〔和田春樹『ロシア史』40頁〕。 ポゴストはキエフ大公国の公女・オリガがウロクの徴収のために、947年にノヴゴロドの地(ru)でドレヴリャーネ族に対して制定したのが始まりである。ポゴスト設置以前は、徴税には、公がドルジーナ(従士)を率いて徴収に回るパリューヂェ(巡回徴貢)という形式が採られていた〔和田春樹『ロシア史』34頁〕。しかし945年、ドレヴリャーネ族がダーニ(貢税)の徴収に抵抗し、徴収に赴いたオリガの夫のイーゴリ1世を殺害したことが、ポゴスト設置の発端となった〔和田春樹『ロシア史』36頁〕。 ただしポゴストの概念はのちに変化し、以降の時代には、いくつかの集落からなる行政・領土の単位をポゴストと呼ぶようになった。キリスト教の普及の後、ポゴストには教会が建てられた。時と共にポゴストは、教会と墓地のある村を意味するようになった。また、小教区であると共に、交易や移住の中心地の役割も担い、共同の祝宴も行われた。18世紀 - 19世紀の中央ロシア(ru)では、ポゴストとは教会・墓地と、ポープ・プリーチトの住居のある、小規模な移住地を指した。また、北部ロシア(ru)では行政区分名としてポゴストという名称が、1775年に廃止されるまで存続していた。さらに18世紀始めからは、ポゴストとは村の墓地を指す言葉としても使用された。このように、ポゴストという言葉にはいくつかの概念が含まれている。 現在は、多くの集落や地名にポゴストの名が残っている。 ==脚注== 注釈 出典 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポゴスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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