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ポストゥムス
マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス(、 ? - 268年)は、ローマ帝国の軍人皇帝時代の僭称皇帝(在位:260年 - 268年)のひとりである。彼の政権は「ガリア帝国」と呼ばれている。 なお、「ポストゥムス」は「最後の息子」や「父の死後に生まれた息子」の意味をもつラテン語の添え名(コグノーメン)である。 == 権力の獲得 == マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムスの前半生についてはほとんど分かっていないが、身分が低いガリア人で、軍に入隊して昇進し、ついには属州ゲルマニア・スペリオルとゲルマニア・インフェリオルの総督にまで至ったと推測されている。ローマ皇帝ガッリエヌスが東部で発生した問題を解決するために現地に赴いたとき、ライン川を防衛するために息子プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌスおよびポストゥムスを含む軍指揮官を後に残した。この地域がアレマンニ族やフランク人の侵略を受け、その混乱の中で、ポストゥムスは自ら皇帝の名乗りをあげた。そしてポストゥムスは、サロニヌスとその補佐でプラエフェクトゥス・プラエトリオであったシルウァヌス(以前はポストゥムスと共にガリアのローマ政策の共同指導者だった)がいるコロニア・アグリッピナ(現:ケルン)を包囲し、攻撃を加えた。ポストゥムスは城壁を突破し、サロニヌスらを捕虜とし、後に処刑した。後に彼はこの勝利を記念するアーチ門を建設した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポストゥムス」の詳細全文を読む
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