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ポズナニ事件 : ウィキペディア日本語版
ポズナン暴動[ぽずなんぼうどう]
ポズナン暴動(ポズナンぼうどう)は、ポーランド西部の都市ポズナン1956年6月28日に起きた大衆暴動。ポズナニ事件ともいう。

==事件の概要==
1956年2月に、ソ連共産党第20回大会で、党第一書記フルシチョフはスターリン批判の演説をおこなった。この演説は、ソ連のみならず東欧諸国に衝撃を与えた。ポーランドでもスターリン主義のもと密告や粛清などにより多くの人が冤罪で告発され大きな苦難を強いられていたが、スターリン批判の影響は計り知れなかった。ソ連訪問中だった大統領ボレスワフ・ビェルトが急死したのも、スターリン批判にショックを受けての心臓発作によるものと言われている(自殺説もある)。
だが、こうした中でも人々の生活は安定し暴動などは全く起こらなかったものの、給料の未払いなどが度々起こるなど体制の綻びが見え始めていた。ポズナンのスターリン名称工場ではこれを是正するため首相との会見を要求する事態にまで発展し、1956年6月28日にはポズナンの人々がデモ行進するに至る。政府はデモに対して強硬策に出たことから、最初は穏健だったデモが暴徒化し商店や警察・刑務所などを襲撃。午後になって軍隊が投入され、暴動は鎮圧された。死傷者は100名を超えると推定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポズナン暴動」の詳細全文を読む



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