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ポティダイアの戦い : ウィキペディア日本語版
ポティダイアの戦い[ぽてぃだいあのたたかい]

ポティダイアの戦い(英:Battle of Potidaea)は紀元前432年から紀元前430年アテナイコリントスポティダイアおよびペロポネソス同盟軍との間で戦われた会戦である。この戦いは前年のシュボタの海戦と共にペロポネソス戦争のきっかけとなった。
== 原因 ==
シュボタの海戦によってコリントスとの対立が明らかになったため、アテナイはコリントスの殖民都市であったがアテナイの同盟国であるポティダイアに(現ハルキディキ県の-カッサンドラ半島の古希名称)に面した防壁の除去と人質を要求し、さらにコリントスの行政官を追放して今後毎年コリントスから派遣されてくる行政官を拒絶するよう命じた。というのも、マケドニア王ペルディッカス2世とコリントスに唆されてポティダイアがアテナイに反乱を起こし、それにトラキアの他の同盟国も倣うことを恐れたからである。ペルディッカス2世の弟のピリッポスピリッポスアレクサンドロス1世の子。〕が〔は、ピリッポス2世の妻Phila of ElimeiaMachatas of Elimeiaと兄妹。〕()と共にマケドニア王に背いた時、アテナイはピリッポスらを支援したため、ペルディッカス2世は様々の反アテナイ行動をとった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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