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ポマレ王朝 : ウィキペディア日本語版
ポマレ王朝[ぽまれおうちょう]

ポマレ王朝()は、かつてフランス領ポリネシアタヒチ島に存在したの王朝である。タヒチの首長国を武力統一したポマレ1世の跡を継いだポマレ2世が創始した王朝で、1791年からフランス植民地となる1880年までの約90年間、タヒチを統治した〔ポマレ2世がポマレ王朝の樹立を宣言したのは1815年であるため、開始を1815年と表記している資料もある。〕。
== 概要 ==
ヨーロッパ人が来訪する以前、タヒチではいくつかの首長国にわかれ、互いに領土を巡り戦闘を繰り返す戦国時代となっていた〔石川2005、p.15。〕。島の北東部に位置するポリオヌウ地区の首長であったポマレ1世は、彼の領土であったマタバイ湾にやってきたヨーロッパ人との邂逅により、銃器などを入手したことから戦闘を有利に進めるようになり、1791年にタヒチの統一を果たした。ポマレ1世の後を継いだ息子のポマレ2世1812年ロンドン伝道協会から洗礼を受け、キリスト教へと転向する。この行動は伝統的な宗教を信仰する他の首長らの反発を受け、再び戦争状態となったが、ポマレ2世はこれを退け、1815年にタヒチ島全土を統一するに至った。ポマレ2世はこれまでタブーとされていた物を食し、神像を破壊し、マラエに代わる壮大な教会堂を建設するなど、西洋化を進めた。その後、ポマレ2世が早逝したことにより、幼いポマレ3世が王位に就くこととなったが、これをきっかけとしてロンドン伝道協会は政治にも影響を与えるようになる。しかし、ポマレ4世の時代の1838年フランスが武力を背景にタヒチの併合を目論むようになると、1847年にはポマレ4世がフランスの保護国となる条約に署名し、タヒチはフランス保護領となった。その後1880年ポマレ5世の時代にはタヒチは正規のフランス植民地となり、ポマレ王朝は幕を閉じることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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