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ポリーナ・スースロワ : ウィキペディア日本語版
ポリーナ・スースロワ

アポリナーリヤ・プロコフィエヴナ・スースロワ (、1839年1918年)は、普通ポリーナ・スースロワと呼ばれるロシア短編小説家であり、フョードル・ドストエフスキー愛人としても有名である。またワシーリー・ローザノフの妻であり、ロシア最初の女医であるナジェージダ・スースロワの姉でもある。スースロワはドストエフスキーの長編小説に登場する女性のモデルとなっていると考えられており、例えば『賭博者』のポリーナや『白痴』のナスターシャ・フィリポブナ、『罪と罰』のカテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ、『悪霊』のリザヴェータ・ニコラエヴナ、『カラマーゾフの兄弟』のカテリーナとグルーシェンカの2人などがそれにあたる〔。スースロワはしばしば「運命の女」として描かれ〔、ドストエフスキーからも当時最も注目に値する女性の1人と呼ばれた〔。
スースロワ自身の作品としては、ドストエフスキー主宰の雑誌「時代」に1861年に載った短編『』、1863年の『』〔、1928年の自伝的な『』がある。
== 幼少期 ==
ポリーナ・スースロワはニジニー・ノヴゴロド県のパーニノに生まれた〔(Russian) 〕。父親のプロコーフィ・スースロフはシェレメーチエヴォの農奴だったが、商売で身を立てて工場を持つまでになった。そのため娘のポリーナ(アポリナーリヤの愛称)とナジェージダに正規の教育を受けさせ、女家庭教師(ガヴァネス)だけでなく、舞踊にも講師を雇うことができた〔。
ポリーナは教養学校に通い、一家でサンクトペテルブルクに引っ越してからはサンクトペテルブルク大学に入った。政争やデモ、学生集会を楽しむようなところがあり、また特に女性に関しては当時の過激派の考え方にも理解を示していた。リュボーフィ・ドストエフスカヤが『娘が語るドストエフスキー』のなかでポリーナのことを書いているが、それによれば彼女は田舎出の若い女で「裕福な親戚がペテルブルクで楽に暮らしていけるだけのお金を送ってきた。秋になるたびに大学に入り直して学生となるのだが、実際に勉強するわけでも、何かの試験に受かるわけでもない。だが授業には出て、他の学生たちとよろしくやっていた。…そして訴状に署名をせまり、あらゆる政治的デモに参加して「ラ・マルセイエーズ」を歌い、コサックを罵る。やることなすことが挑発的だった」。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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