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ポーランド立憲王国(ポーランドりっけんおうこく)は、ポーランドを支配していた国家の1つ。1815年、ナポレオン・ボナパルトのワルシャワ公国に代わって設置された。 正式にはポーランド王国という国名であったが、以前に存在していたポーランド王国と紛らわしいため「立憲王国」と呼ばれることが多い。また、帝政ロシアの衛星国として語られることが多い。 == ウィーン体制樹立 == ナポレオン没落後(1814年 - 1815年)、西欧諸国は欧州秩序再構成のためウィーン会議を開催した。オーストリア帝国外相クレメンス・メッテルニヒが主催したこの会議では、以下のことが定められた。これをウィーン体制と呼ぶ。 * フランス・スペイン・ナポリ - タレーラン=ペリゴールの提言した「正統主義」に基づき、ブルボン朝の政権を復活(王政復古)。 * イギリス - オランダからケープ植民地とセイロン島の領有権、フランスからマルタ島を獲得。 * オーストリア - 北イタリア(ヴェネツィア・ロンバルディア地方)の領有権を獲得。ベルギー地方をオランダに割譲。ドイツ連邦の議長となる。 * プロイセン - ドイツ連邦に加盟、ラインラントを取得。ポンメルンとザクセン北部を獲得。 * ドイツ連邦 - ライン連邦を廃止して設置、オーストリア帝国が議長となる。 * ロシア - フィンランド大公国を承認、皇帝はポーランド立憲王国の国王を兼任。オスマン帝国からベッサラビアを獲得。 * スウェーデン - フィンランドをロシアに割譲する代償に、ノルウェーと同君連合を組む。 * ポーランド - ワルシャワ公国を廃止、大部分をポーランド立憲王国の領土とし、ロマノフ朝のロシア皇帝がポーランド王を兼任する。 * スイス - 永世中立国となる。 * オランダ - ベルギー地方を併合し、立憲君主制となる。一部の植民地をイギリスに割譲。 * ベルギー - オーストリアに代わりオランダが領有権を取得。その後1830年に独立、オランダと同じく立憲君主制をとる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポーランド立憲王国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Congress Poland 」があります。 スポンサード リンク
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