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ポール・ウィンター(Paul Winter, 1939年8月31日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州アルトゥーナ生まれのサックスプレイヤー。 == 経歴 == 1961年、大学在学中に、ジャズバンドのポール・ウィンター・セクステットでインターカレッジ・ジャズ・フェスティバルに優勝しコロムビアと契約。1962年にはアメリカ合衆国国務省派遣の文化使節として世界をまわる。同年、ホワイトハウスに招かれ、ホワイトハウスで演奏した最初のジャズバンドとなった。 1960年代中頃は、ウィンターはブラジルへ行き、ブラジル音楽や誕生したばかりのボサノヴァに関心を寄せた〔。その影響下で制作した1965年のアルバム『リオ』には、ボサノヴァ誕生の中心人物の1人であるヴィニシウス・ヂ・モライスがライナーノーツを書いている。 1960年代後半からは、ポール・ウィンター・コンソートとバンド名を変更、ニューエイジ・ミュージック、ヒーリングミュージックの傾向を深めている。1972年に発表したアルバム『イカロス』は、ビートルズのプロデュースで有名なジョージ・マーティンがプロデュースを務めている。このアルバムの録音に参加したラルフ・タウナーらのミュージシャンは後に、オレゴンを結成している。コンソートは、長年にわたり異なるミュージシャンで続けていた。 1993年に発表したライヴ・アルバム『スパニッシュ・エンジェル』は、第36回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞し〔、ポール・ウィンターにとって初めてのグラミー賞獲得となった。 1994年に発表したアルバム『野生への祈り』は野生動物をテーマにしたコンセプト作品で、前年に続き第37回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した〔。 1999年にポール・ウィンター・アンド・フレンズ名義で発表したアルバム『ケルティック・ソルスティス』は、アイルランドのミュージシャンが多く参加したケルト音楽をテーマにした作品で、第42回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した〔。 2007年に発表したアルバム『クレストン』は、第50回グラミー賞で最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した。なお、『クレストン』には日本人和太鼓奏者の中村浩二が参加している。 2011年に開催された第53回グラミー賞で、日本の琴奏者松山夕貴子をフィーチャーしたアルバム『ミホ:ジャーニー・トゥー・ザ・マウンテン』が最優秀ニュー・エイジ・アルバム賞を受賞した〔。このアルバムは、日本の美術館であるMIHO MUSEUMで収録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・ウィンター」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paul Winter 」があります。 スポンサード リンク
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