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ポール・コフィー(Paul Coffey、1961年6月1日 - )はカナダオンタリオ州ウェストン生まれのプロアイスホッケー選手である。NHLにおけるポジションはディフェンスであるが、生涯1,531ポイントを上げたことからもわかるように攻撃能力にも優れていた。2004年にホッケーの殿堂入りを果した。 == 来歴 == ポール・コフィーは1980年のNHLドラフトで第1巡目全選手中第6位でエドモントン・オイラーズに指名された。入団から最初の7年間はNHL におけるいわゆる「エドモントン王朝時代」に当たり、コフィーも1984年、1985年、1987年と3度のスタンレー・カップ優勝を経験した。中でも、1985-1986シーズンは、コフィーのベストシーズンで、年間138ポイント(48ゴール、90アシスト)を上げ、この記録は1970-1971シーズンにボビー・オアが達成したNHLディフェンス年間獲得ポイント数139の最多記録(2005年時点)に次ぐ。また、ゴール数の48はNHLディフェンスゴール数としては歴代最多(2005年時点)を誇る(第2位はオアの46)。 1987年11月24日には、年俸条件を巡るトラブルからピッツバーグ・ペンギンズに移籍し4年半プレーするが、1991年にはここでもスタンレー・カップ優勝に貢献を果した。その後1991-1992シーズン途中から翌シーズン途中まではロサンゼルス・キングスで計60試合に出場し、ここではオイラーズ時代の僚友、ウェイン・グレツキーと邂逅した。 1992-1993シーズン途中でデトロイト・レッドウィングスに移籍し、3シーズン半でまずまずの成績を収めた。さらに、1996-1997シーズンにはハートフォード・ホエーラーズで20試合をプレイするが、間もなくフィラデルフィア・フライヤーズに転出する。その後も、シカゴ・ブラックホークス、カロライナ・ハリケーンズ、ボストン・ブルーインズを渡り歩いた。 コフィーは2000年に現役を引退し、396ゴール、1135アシスト、1,531ポイントの記録を残した。この生涯ポイント数はディフェンス選手としてはレイ・ボークに次ぐ歴代第2位である(2005年時点)。また、1985年、1986年、1995年と年間最優秀ディフェンス選手に贈られるジェームス・ノリス記念賞を受賞している。 引退後は、オンタリオ州ボルトン (Bolton) で日系自動車販売会社のオーナーを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・コフィー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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