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マイク・ジョージ(Mike George、1950年 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州マーシャル出身〔。 現役選手時代は正統派のパワーファイターとして活躍し、次期NWA世界ヘビー級チャンピオン候補の呼び声も高かった〔『ザ・レスラー '83新春黄金シリーズ号』P9(1983年、新日本プロレス オフィシャル・マガジン)〕。 == 来歴 == === デビュー / 1970年代 === 地元のミズーリやカンザスを拠点とするNWAセントラル・ステーツ地区のプロモーター、グスト・カラスにスカウトされて1971年にデビュー〔『THE WRESTLER BEST 1000』P247(1996年、日本スポーツ出版社)〕。ジム・ブランゼルとの若手コンビで活動し、1973年10月25日にロード・アル・ヘイズ&ロジャー・カービーから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取。翌1974年3月21日にはブルドッグ・ボブ・ブラウンを破ってシングルのセントラル・ステーツ・ヘビー級王者にもなっている。 1975年4月、全日本プロレスの『第3回チャンピオン・カーニバル』に初来日。ジン・キニスキー、キラー・コワルスキー、ミスター・レスリング、マーク・ルーイン、そして特別参加のブルーノ・サンマルチノとディック・ザ・ブルーザーという豪華メンバーが集結したこのシリーズにおいてはグリーンボーイ扱いで、予選トーナメント1回戦で高千穂明久に敗退したものの、共に初来日した同世代のボブ・オートン・ジュニアやスティーブ・カーンと共に次代を担う有望株として期待された〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P55-56(2002年、日本スポーツ出版社)〕。4月10日、宮城県スポーツセンターで行われたジャイアント馬場対ディック・ザ・ブルーザーのPWFヘビー級王座戦ではブルーザーのセコンドを務め、馬場のセコンドについていたジャンボ鶴田とも乱闘を演じた。 その後もセントラル・ステーツ地区を主戦場に、フロリダ(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)やジョージア(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)などNWAの南部エリアも転戦。フロリダでは1975年下期にキラー・カール・クラップから南部ヘビー級王座を奪取している。1976年2月にはセントルイス、ガーデンシティ、カンザスシティの3か所でテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦。カンザスシティでは同年10月21日にスーパー・インターン(トム・アンドリュース)と組んでマッドドッグ・バション&バロン・フォン・ラシクを、1977年12月1日にはスコット・ケーシーとのコンビでクラッシャー・ブラックウェル&バック・ロブレイをそれぞれ破り、NWA世界タッグ王座を再三獲得した〔。 1979年より、ビル・ワットが主宰していたミッドサウス地区のMSWAに参戦。ジェリー・スタッブスからルイジアナ・ヘビー級王座とミシシッピ・ヘビー級王座を奪取し、9月5日にはミスター・レスリング2号を破り北米ヘビー級王座を獲得。ルイジアナとミシシッピの両王座は抗争相手のマイク・シャープ・ジュニアに奪われるが、9月28日にはボブ・スウィータンと組んでミッドサウス・タッグ王座の初代王者チームに認定されるなど、同地区のタイトルを総なめにした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ジョージ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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