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マイク・デュプリー(Michael Dennis Dupree , 1953年5月29日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身の元プロ野球選手(外野手)。 ==来歴・人物== フレズノ市立大から1月のMLBドラフト4巡目でサンディエゴ・パドレスに入団。、傘下AA級で外野手として117試合出場したほか、投手としても14試合に登板し5勝を挙げた。翌、投手でメジャーデビューを果たし、12試合に登板している。からの3年間は傘下AAA級で投手兼野手としてプレーした。 、駐米スカウトの平山智に「打撃に多少難はあるが足と肩は見るべきものがある」と外野手として見い出され広島東洋カープに入団。当初首脳陣は投手としてマウンドに立たせることも検討した。阪神タイガースとの開幕戦で工藤一彦からいきなりサヨナラホームランを打ち上々のスタートを果たして以降、山本浩二、ジム・ライトルとともに鉄壁の外野を形成。この3人いずれも鉄砲肩で、内野手を中継せず直接走者を補殺するプレー(今日言われるところのレーザービーム)をたびたび披露していた。127試合に出場し失策0という安定した守備で同年のリーグ優勝に貢献したが、助っ人として必要な長打力に欠けた面もあり1シーズンで退団となった。 降雨で試合中止が決定したときにベースランニングを行い、ホームプレート付近に敷かれたマットの上にスライディングするパフォーマンスを披露したことがある〔。しかし、当時はこうしたパフォーマンスを広く認める空気がプロ野球界にはなかったため、あくまで先駆的事例の一つに留まった〔この種のパフォーマンスについては明確な記録がないが、『懐かしの球場 関西編』(産経新聞社、2014年)のp.176には、1968年に大阪球場の南海対東京戦で、雨による中断時にベースランニングをしている選手(選手名は不明)の写真が掲載されており、デュプリーが最初の事例ではない。〕。日本で広く定着するのはデュプリーから10年ほどのちに日本ハムファイターズのマット・ウインタースが行うようになってからである。デュプリーのパフォーマンスは三塁を回ったところでいったんボールの行方を見るかのように躊躇するなど手が込んでいた。 また試合時にはバッターボックスでせわしなくバットを回したり構え直したりする仕草が特徴的だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・デュプリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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